2010年3月17日水曜日

ブッダ「真理のことば」を学ぶ(54(20100317)

 クータンが去った。1週間ばかり預かっていて一層可愛いさが増していたが、大阪から帰ってきた嫁に引き取られて一緒に狭山の自分の家に帰って行った。男も女房もいっぺんに疲れが出た感じである。毎朝まだ目が覚めきれない内に散歩に連れて行き、午後2時ごろまた連れて行き、時には夕方一度、そして夜10時ごろ連れて行って一日が終わる。その間、いろいろ語りかけたりボール遊びしたりしてかまう。子犬一匹とはいえ小さい子供の家族が一人増えたようなものである。子犬は1週間程度預かるのは楽しいが、それ以上だと多分苦痛になると思う。

 今日は昼過ぎ最後の散歩に連れて行った。いつもより1時間早い時間だったせいでなかなかオシッコをしない。川の堤防に沢山の鳩が遊んでいた。クータンはそれを見て近寄ろうとし、鳩たちが一斉に逃げる。するとそれをまた追いかける。空に舞い上がる鳩を見上げ、目で追う。本来それが犬の習性である。そのようなことをして時間を費やし、家に戻ってくる途中、近くのトラックなどの駐車場になっている空き地に入り、そこでようやくオシッコをした。昨日は午後もウンチをしたが、今日は無い。ようやく家に帰り、いつものように女房に迎えられ、女房がペットショップで買ったウエットティッシュでで手足や顔やおちんちんやお尻などを丁寧に拭きあげた。

 隠居・年金暮らしの優雅な身分と人は思い、ある人は男と女房の句足ぶりを見て羨むだろう。ぶらりと出かけ一生懸命に働いている人たちを見かけると自然に頭が下がる。彼らがこのような老人たちを支えてくれているのだ。かつて男も現役の頃は社会保険を払っていた。子供たちについてはまだ学生である20歳のときから彼らが就職するまで健康保険を払っていた。今は生産に従事せず、消費だけの生活をしている。特別に何かして社会に貢献しているわけでもなく、せいぜい社会福祉か国際貢献のための寄付をほんの少しばかり出す程度である。

 世の中には時間を持て余している年金生活者も多いだろう。年金暮らしになって急に何か創造的な活動や趣味ごとをしたいと思っても、その素養や過去の蓄積がないとそれは簡単には出来ないことである。一日中テレビの娯楽番組をみたり、川釣りをしたり、地区センターで囲碁将棋などをしたり、パチンコに行ったりして時間をつぶす人が多いと思う。

 男は何か生産的な活動をする能力はないが、幸い詩吟とか陶芸などの趣味があり、学問も好きである。ここ1週間ばかりはクータンの世話で時間を費やしていたが、これからは他のことに時間を振り向けることができる。生産的な活動はしていないが、月2回、詩吟の会に集ってくれる方々には何かの喜びを感じて貰っているのではないかと思う。しかし、もっと多くの喜びを他者に感じてもらうようなことをしなければならぬと思っている。

379 みずから自分を励ませ。みずから自分を反省せよ。修業僧よ。自己を護り、正しい念(おも)いをたもてば、汝は安楽に住するであろう。
380 実に自己は自分の主(あるじ)である。自己は自分の帰趨(よるべ)である。故に自分をととのえよ。商人が良い馬を調教するように。