2010年3月28日日曜日

ブッダ『感興のことば』を学ぶ(8) (20100328)

NHKハイビジョン特集『「復元・幻の大寺院」新薬師寺・天平の謎に挑む』を観た。夜9時半から『大発見謎の小型人類』に続き11時から約2時間の番組である。この遅い時間帯にこのような番組を観る人はそう多くないであろうと思う。後者の番組は元々古代のお寺や仏像に関心が深い妻が「観たい」と言い、私もインドネシアで17千年前に生きていたという全く別種の人類に関心があったので引き続き観たのである。
小型人類の方は成人の背丈が子供ほどで、脳の容積が400ccほどしかないのに鋭利な石器のナイフなどを使い、狩猟もしていたことが分かっている。人類の系統上常識外のことなので各国の学者の重大関心事となっている。彼らは我々の祖先である脳容積1350ccのクロマニヨン人類に追われたり、ウイルスに侵されたりして最期の生息地となったインドネシアの洞窟で滅びしまったのだろうか?
新薬師寺は8世紀、聖武天皇のお妃となった藤原の光明子が建立したものである。10世紀に倒壊してしまったが古文書にその建立の設計、資材、方法、建立のための組織など記録が残されている。奈良でその遺構が発見されその規模の大きさに関心が集まり、それぞれ専門が異なる学者たちが連携してコンピュータ上にその復元の作業を行っている。
学者たちはその作業の参考にするため中国遼寧省にある奉国寺を訪ねた。そのお寺は11世紀に建てられたもので、新薬師寺の規模に匹敵する大きさである。学者たちはその奉国寺で上記古文書の記録にある七仏などの配置状況、柱の間取りなどを復元の参考にした。
天平の時代、当時の日本は先進国の唐に追いつき、追い越そうと必死の努力をしていた。聖武天皇やその皇后・光明子は、仏教の振興、仏教による国論の統一、仏教による人々の救済などを国策の中心に据え、国を指導した。聖武天皇が薨去された後、光明子は天皇の御冥福を祈念して御遺愛品など六百数十点を東大寺の本尊盧舎那仏(大仏)に奉献された。その品々は同寺の正倉(現在の正倉院校倉宝庫)に収蔵された。
明治政府は列強諸国に追いつき、追い越そうとして必死の努力をした。悲惨な結果に終わった大東亜・太平洋戦争を経て、今日わが国はアメリカとの同盟をてこに中国に対峙し、ゆくゆくはアメリカと肩を並べようとしている。資源を外国に求めずとも四面海に囲まれたわが国が、もしすべての資源を海に求めることができるようになれば、またあまり認識されてはいないが世界に有数の農林業(潜在的)大国であるわが国が、食料の自給率を100%近くまで高めることができれば、わが国は世界のリーダーとなる可能性がある。
我々日本人の祖先は、ナウマン象やその他の獣たちを追い、食料を求め、生存競争に勝ったグループが7つの方面からこの日本列島に辿りつき、混血し今の我々日本人となった。その遺伝子は今日、わが国を世界の中心に導く可能性を秘めているのではないだろうか?

30 たとい百歳をきたとしても、終(つい)には死に帰着する。いか、病いか、またはが、この人につきそって殺してしまう。

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