2010年3月9日火曜日

ブッダ「真理のことば」を学ぶ(46(20100309)

 男はいつもながら夜中に一度はトイレに起き、明け方になると腸内にガスがたまり、時には胃の方もガス圧であろうか不快で目がさめても安眠したという気分でない。胃にピロリ菌が巣食っているに違いないと思い、近くの内科クリニックの先生に相談し、ピロリ菌検査用のキットを貰って帰っていた。しかしこのところ忙しく、またその先生から胃の粘膜を修復する薬を処方されていてまだ沢山残っているのでそれを使い切ってから行こうと思っていた。しかし今日こそはピロリ菌の検査をしてもらおうと思う。

 口が卑しいから美味しいものをつい食べ過ぎる。夕食は控えめに、よく消化するように食べるのが良いのであるが、つい多く食べ、よく噛まずに胃に入れてしまう。別に長生きしたいとは思わないが、病気になってまた女房に苦労をかけることはしたくない。男が10数年前前立腺がんで新橋の慈恵医大病院に入院中、女房は1時間半ぐらいかけて毎日見舞いに来てくれた。3年前痔の手術で我孫子の東葛辻中病院に入院中も2時間かけて毎日来てくれていた。

 齢に関係なく健康維持の為最善の摂生をすることが幸せの元である。意志を強固にして、断固摂生第一の日々を送らなければならない。今年73歳になるというのに、まだ若い時のような気持ちでいる。夜更かしはし、朝は遅くまで寝ている。これからは早寝早起きをし、朝は清々しい空気の中散歩をし、小食で良く咀嚼し、指の爪もみや腹式呼吸法を行い、病魔に近づかせないようにしなければならぬ。思い立ったら吉である。今午前6時半、男はこれから物音をたてないようにそおっと着替え、外に出て川の土手に出てみようと思う。

 東葛辻中病院に「つじなかにゅーす」というペーパーが置いてある。そのペーパーの記事に「痔に悩んだ人々」というタイトルで杉田玄白のことが書かれている。玄白は69歳のとき『養生七不可』を書いており「昨日の非は恨悔すべからず。明日の是は慮念すべからず。飲と食とは度を過すべからず。・・・」とある。この「つじなかにゅーす」のその部分を切り取って自分の部屋の中の目にとまる処に貼っておこうと思う。

 玄白は85歳で没しているが、その前年「耄耊(ぼうてつ)独語」で自分の老年の身体状況を冷静に見つめ、眼、鼻、耳、口、次に二つの(こう)(大小便の排泄口)、手、足、腰などの不自由さについて述べている。玄白は「厠に居ること長く、寒風の時は其苦しみいはんかたなし」と痔で苦しんでいた。男は自分はまだ玄白より一回り以上若いが日頃の養生に気をつけなければならぬとつくづく思う。

 第二十二章「地獄」続き、

312 その行いがだらしなく、身のいましめが乱れ、清らかな行いなるものも怪しげであるならば、大きな果報はやって来ない。
313 もしも為すべきことであるならば、それを為すべきである。それを断固として実行せよ。行いの乱れた修行者は、いっそう多く塵をまき散らす。