2010年3月11日木曜日

ブッダ「真理のことば」を学ぶ(48(20100311)

今日(10)は午後よいお天気になった。横浜市陶芸センターの近くの中国から贈られたという庭園の池でキンクロハジロの一群がゆっくり水面上を泳いでいる。紺碧の空の下、カモたちはシベリヤ方面に帰る時期を窺っているのかもしれない。池を見ている私のところに寄ってきて「いつ帰ろうかな」とでも言いたそうな顔をしている。

今日は多目的皿、これはカレーライスを食べるときでも、スパゲッティを食べるときでも、なにかお惣菜を盛るときでも使える楕円形の舟形のお皿であるが、これを先週4枚創って乾かしていた。今日はその内側に蚊帳を置いて刷毛で白化粧をして網目模様を付けた。
先々週、赤土3kgを楕円の形にし、7mmの厚さにスライスしてあった。先週それを舟形の皿の形に創った。そして今日、蚊帳をおいて白化粧した。白化粧はあまり時間をかけずに手早におこなった。何故かと言うと土がまだ半乾きであるため折角の舟形の皿が壊れないようにするためである。再来週は素焼きされたものに釉薬をかけ、本焼きに出す。

今日は赤楽茶碗を自分で窯に入れて焼いた。楽茶碗は850度から900度の低い温度で30分ほど焼く。窯の傍にセンターの職員が付いていて手助けしてくれる。焼き上がった茶碗はなかなか良くできていると思う。昨年、黒楽茶碗を創ったので今回は赤にした。

本焼きに出していた葉っぱ状の香合が完成していた。これはお香を入れる内部にグリーンのガラスの破片を入れて焼いたものである。全体として美しい形に出来あがっていて、多少お茶に心得がある女房に茶碗・香合ともよくできているとの評価である。明日にでもこれらを写真に撮って陶芸のブログに掲載するつもりである。

陶芸の行き帰りに司馬遼太郎の『陸奥のみち、肥薩のみちほか』(朝日文庫)を読む。薩摩の陶土の村であり旧士族の村に、「沈寿官」という朝鮮名をもつ薩摩の中ぐらいの家格の旧士族の家がある。沈寿官氏の祖先は李氏朝鮮の全羅北道の南原城にいた。窯業技術をもっているため薩摩に連れてこられた。沈寿官氏14代目当主であるという。沈寿官は代々襲名する屋号のようなもので戸籍上の姓は大迫氏であるという。島津氏の軍が豊臣秀吉の命令で朝鮮に侵入し、朝鮮から引き揚げる時連れてきた人々は窯業技術を持たない者でも士分に取り立てられた家系が薩摩には幾つかある。それらは薩摩固有の日本姓を名乗ったという。司馬遼太郎は「薩摩藩が近代語でいえば他民族の者を士分にしたというのは驚嘆すべきことである。」とその本に書いている。
在日の人たちは結婚や帰化などで毎年2万人ぐらい減り続けているらしい。沈寿官氏、戸籍上は大迫氏のように、多くの在日の人たちも日本国籍を取って日本人になるだろう。

第二十三章「象」
328 もしも思慮深く聡明でまじめな生活をしている人を伴侶として共に歩むことができるならば、あらゆる危険困難に打ち克って、こころ喜び、念(おもい)をおちつけて、ともに歩め。