2010年3月24日水曜日

ブッダ『感興のことば』を学ぶ(4) (20100324)

 男は一昨日NHKETV特集「死刑囚・永山則夫 獄中28年間の対話」という番組を女房と二人で観た。妻が観ようとしなかったら自分も観ずにいた番組である。

 本人は4人も殺したのだから死刑になるのは当然で、死刑になりたいと言いながら、自分をここまで追い込んだ社会の在り方を批判し、公判でもその考え方を主張していた。地裁で死刑の判決を受け、東京高裁に送られた。東京高裁の裁判長は彼の悲惨な生い立ちを憐れみ、無期の判決を下したが、その論拠は「すべての裁判官が死刑を当然と判断せざるをえないような事案でなければ死刑の宣告はできない。」という趣旨のものであった。これに対して検察は、それは死刑廃止につながる判断であると反対し、上告し、最高裁では差し戻しということで死刑が確定した。

 東京高裁で無期の判決が出たとき、彼はある女性と獄中結婚していた。彼女は彼の生い立ちに自分自身の生い立ちを重ね合わせ、彼との愛を深め、共に同じ屋根の下で暮らすことはないことも覚悟の上で彼と精神的な結婚生活を送った。彼女は彼の贖罪の行動の願いを入れて、外に出られない彼に代わって被害者の遺族の家を回り、謝罪し、彼が獄中で書いた本の印税を被害の遺族に渡し、一部の遺族から受け取って貰っていた。

 彼は自分をそのような人生に追い込んだとする社会を批判しながらも、無期の判決が出たときは生きて罪を贖う気持ちも出ていた。しかし最高裁からの差し戻し判決により、その気持ちは打ち砕かれた。かれは彼女と離婚した。再び社会への批判を強め、望み通り死刑に処せられた。判決文には「改悛の情がない」旨書かれていたようである。

 この番組を見て男も女房も重い気持ちになった。先ず、彼の幼少時代のような貧困である。ばくちに明け暮れる父親とカタカナの文字しか書けない無教育の母親、そしてまだ4歳であった彼を、まだ児童の姉、兄たちと共に置き去りにして、逃げるようにして郷里の青森に去った母親、そういうような生活も心も本当に貧しい人がいたという現実である。男も女房もまだ見ていないなかったが、この実話が映画になったということである。

 上の大きな子供たちはともかくも、まだ4歳の子供を置き去りにはできない、どんなに貧しくても人に助けを求めることはできるだろう、彼を生みの母親憎さゆえに自暴自棄の凶悪犯罪に駆り立てたもの何だったのか。

 男は死刑制度について女房と語り合った。地下鉄サリン事件で死刑の判決を受けた者たちの中には改心しない者もいる。改心して死刑により罪を贖いたいと考えている者もいるだろう。そのような凶悪な、社会を不安に陥れたような犯罪行為は厳しく処断されるべきである。彼が最期まで自分をそのような不幸に陥れたのは社会が悪いといって、裁判官に「改悛の情がない」と言わしめた者に対して死刑は止むを得なかったのではないかと男は思う。

23 生きとし生ける者どもは死ぬであろう。生命は終(つい)には死に至る。かれらは、つくった業(ごう)の如何にしたがっておもむき(それぞれ)善と悪との報いを受けるであろう。