2010年3月16日火曜日

ブッダ「真理のことば」を学ぶ(53(20100316)

 今日も温暖な日であった。朝いつものようにクーちゃん(クータン)を散歩に連れてゆきうんちとオシッコをさせ、多少の運動をさせる。うんちをさせるときはクーがそれを催したときすかさずお尻にビニール袋を当ててその中にさせる。そうでない場合はビニール袋に手を突っ込み袋を裏返しにしてひった(大分の方言で‘放った’の語音が転じたものであろう)糞を拾う。この犬はこれまでの躾がよくないのか、オスのくせに屈んだままオシッコをする。その時は足が地面のオシッコに触れて汚れないように、引いている綱を持ち上げる。それでも前足の一つが地面のひったオシッコの跡に触れて汚れることが多い。

 今朝もそうであった。散歩を終えて連れて帰るときゴミ置き場のところでコンクリートの地面に水道の水を流し、その上をクータンに歩かせ足の裏を洗うことにする。そのつもりですこし散歩させる。途中弁当の空き箱とかビニール袋とかゴミが散らばっているのを目にし、クータンのうんこを入れてある袋を逆さまにして枯れ茅の茂みの中に捨て、その袋に拾ったゴミを入れる。その作業をしているときたまたま今持っている袋よりも大きい袋を見つける。それは汚れていて汚いが、それに持っていた袋と一緒に集めたごみを入れる。

 その間、クータンは紐を引っ張られたり緩められたりする。ゴミは素手で拾うが後でよく洗えば良い。このようにしてその辺りに落ちていたゴミを拾い上げ、綺麗になった。自分自身も気持ちがよい。拾ったゴミは分別せずにそのままマンションのゴミ置き場のポリ容器の中に袋の口を縛って入れる。ゴミ収集車は分別されていないゴミ、例えば空き缶やペットボトルなどが混じっていたりすると、そのゴミ袋に警告の黄色い紙を貼って置き去りにしてしまう。そこで、拾ったごみは外から分別されていないものが見えないように包みこんでおく。ばかばかしいことであるが自宅から出すゴミでないので仕方がない。行政に環境美化の奉仕活動をした結果集めたゴミについては別扱いするように申し入れようかと思う。アイデアはそのような奉仕者に専用の袋を無償で提供することである。

 すぐ近くのスーパーで店頭に並べられたばかりの新鮮な「熟っこバナナ」や「アボガド」や「静岡のいちご」を買う。これらは午後になると新鮮度も落ち、夜になると売れ残りの品質の悪いものしか残っていない。先日買ったその売れ残りの「熟っこバナナ」は値段が同じなのに実も細く、堅く、表面の熟し度は見かけだけで不味かった。

 近所の内科クリニックにピロリ菌の検査結果を聞きに行く。患者は少なかったのですぐ順番がきて診察室に入る。懇意の先生に「結果は陰性です」と言われる。検査結果のデータのコピーを貰う。わが胃袋は「びらん性胃炎とか食道裂孔ヘルニア」という問題を抱えているが胃炎の方はその先生が処方してくれた薬のお陰で良くなったようである。ともかくわが胃の中にピロリ菌が生息していないことが判ったので、後は食べ過ぎないとか良く噛むとかして胃の負担を減らすように心掛けることである。

376 その行いが親切であれ。(何ものでも)わかち合え。善いことを実行せよ。そうすれば、喜びにみち、苦悩を滅すであろう。