2010年5月31日月曜日

ブッダ『感興のことば』を学ぶ(72) (20100531)

 テレビで第77回日本ダービーを観戦した。父馬同士が因縁の対決をしたペルーサとヴィクトワールピサに人気が集まっていたが、結果はヴィクトワールピサが3位入賞をはたしただけで、ペルーサは前評判にも拘わらず全く駄目であった。今回の出場馬は皆優秀な馬ばかりであったようである。血統を見ると今回の優勝馬も含め父馬又は母馬の父馬が同じ系統が多いようである。やはり血は争えないと思う。

 馬でも人間でも親が優れた遺伝子を持っていたとしてもその子どもが必ずしも優れていとは限らない。それでも良い血統は祖先の優れた遺伝子をより多く受け継いでいる。人間は馬と違って社会的‘動物’であるので、何が優れているかということは総合的に観なければならない。仮令障害をもってこの世に生れてきた場合でも、才能を伸ばし、社会で活躍している人は多い。一方で才能や特性を見つけ出し、それを伸ばすような機会や環境に恵まれず、社会で活躍できずにいる人も多い。一般的に言うと親が自分の子供をどのように育てるかという熱意と知識がない場合、どんな子供でもよく育たない。

 日本ダービーを一緒に観ていた女房がおやつに蒸しパンを作ってくれた。茶の間の話題は自分たちの子育ての頃のことであった。あの頃店でおやつになるものを買ったという記憶はない。こどものおやつは全部女房の手作りだった。月給は安く非常に質素な暮らしだったが、非常に暖かな家庭だった。子どもたちをよく山野・河川・海辺に連れてゆき、いろいろ経験させた。そういう中で子どもたちはそれぞれの道を見つけ出した。

 ふと自分の子供のころのことを思い出した。昭和18年ごろのことではなかったかと思う。多分、朝鮮の慶尚北道の柳川小学校に隣接する校長官舎に住んでいたころのことでなかったかと思う。母は砂糖で紅色や緑色の飴菓子を作ってくれた。そのころ南方の戦地では出征して送り込まれた人たちが大変な苦労をし、あるいは銃弾に倒れていたのだが、朝鮮のその校長官舎での日々は平和であった。日本との往来は例えば大阪から博多にゆくようなもので何も不便はなく、昭和19年の春ごろ出征前の叔父(亡父の実弟)の結婚式に一家で帰ってきて、実家の庭先で親族一同集合写真に写っている。亡母は当時31歳ぐらいであった。2年後、昭和21年の12月、その母は乳がんで他界している。33歳の厄年だった。

 競争馬は身体的遺伝子のみ受け継ぐ。人間は身体的遺伝子のみならず、文化的なものも受け継ぐ。霊長類のサルでもわずかではあるが文化的なものが子に伝わる。賢い親は文化的な‘遺伝情報’を子によく伝えることができる。人間の血統についてはそういう文化的な側面も見て考えなければならない。

ブッダ「感興のことば」は第25章「友」に移る。

2 明らかな知慧のある人が友達としてつき合うべき人々は、信仰心があり、気持ちのよい、素行のよい、学識ゆたかな人々である。けだし立派な人々と交わるのは善いことである。


11 どのような友をつくろうとも、どのような人につき合おうとも、やがて人はその友のような人になる。人とともにつき合うというのは、そのようなことなのである。