2010年5月20日木曜日

ブッダ『感興のことば』を学ぶ(61) (20100520)

 ‘老老介護’という言葉がある。年寄りが要介護の年寄りを看ることである。男の家もその言葉通りになってきている。男の知り合いのご家庭でも似たようなケースが幾つもある。皆母親が90過ぎまで独り暮らしを望み何年間も子どもに世話をかけているが、そのうちに自分から老人施設に入ることを申し出て、その施設で生涯を終えている。

 男も男の女房も高齢であり、日々時間に追われることなく気ままに余生を送っている。不必要な支出を抑え、車など金がかかる物は所有せず、つつましく暮らせば年金暮らしであってもそれなりに心豊かに暮らすことができている。年に3、4回独り暮らしの母(継母)を看るため田舎に帰るがその費用はその母に負担してもらっている。

 そのように年に何度も帰っているので郷里の友人から「別荘があっていな」とうらやましがられる。これまで何年かは田舎に帰ることが気分転換になってよいと思っていた。ところが自分も73歳になり妻も69歳になるとただ田舎に帰ることだけでは気が重くなってきた。田舎に帰ればこちらで自由気ままに、もし疲れた時はいつでも昼寝ができる状況ではなくなる。年寄りの母を脇に置いて疲れたからと言って別室で横になるわけにはゆかぬ。ひょっこりと近所の方が見えることがある。せっかく帰っているのであるから知らぬふりはできぬ。要するに田舎に帰れば朝から晩まで気が抜けないのである。

 数年前までは自分でも馬力があったと思う。しかしこのところ何か頑張ってすると後で疲れが出るようになった。女房もこの2月に帯状疱疹を患った。暮正月に帰っていたときの疲れが回復しないまま他のことも重なってそのような病気になってしまった。つい最近まで若い者には負けていないと思うほど馬力があると自負していた私も腰を痛めたり喉を傷めたりした。「年寄りの冷や水」というが、要するに齢をとれば無理がきかなくなるのである。先日喉の痛みことで近くの内科クリニックを訪れたとき先生は「元気印だったのに」と私に言った。‘元気印’と言われて喜ぶのは馬鹿げたことだと思うようになった。

 田舎で独り暮らしする母はかかりつけの医師から「103歳まで生きる」と宣言されている。85歳のとき大腸にくっ付いたがんの部分の切除の手術を受け、その後再発して化学療法で治癒したのでその医師の言うとおり103歳まで生きる可能性は大である。そのとき男は85歳にもなる。長男であるから田舎のことはきちんと始末をつけなければならないが、85になるまで自分が元気でいると言う保証はない。

 その時男の長男は58歳になる。二男も55歳になる。老老介護でお互い身内に負担を書けないように早くから先のことを見通した計画を立てておくことが重要である。現役時代に知り合ったあるアメリカ海軍の元中佐から来た手紙に、アリゾナで奥さんと奥さんの実母と三人で暮らしているがその奥さんの実母の介護でどこにも旅行に行けないと書いてあった。老老介護はアメリカでも同じ状況である。ブッダ「感興のことば」第22章「学問」;

2 この世でことわりをはっきりと知らない愚かな者どもは、自分たちが不死であるかのごとく振る舞う。