2010年5月7日金曜日

ブッダ『感興のことば』を学ぶ(48) (20100507)

 久しぶり渋谷の街を歩いた。渋谷は若者が多く活気に溢れている。渋谷には自分が買いたいと思う物が何でも揃っているように思う。通りを歩く外国人も多い。

 今日は長男夫婦が男と女房をある有名な懐石料理の店に招待してくれた。江戸時代には各藩にそれぞれ特徴のある料理があり、殿様などの御膳に出されていたのであろう。今日の料理はその一つである。「殿様気分になった」と言ったら和服姿の女性の店員が笑顔で料理の説明をしてくれた。その説明で「おしながき」の内容が分かり、料理が一層美味しくなる。46歳の息子が私の齢を聴く。「73だよ」と答える。今日の会食のため昨日行きつけの床屋に行った。ひげを短くし、形を整え、髪は若者風にソフトモヒカンスタイルに短く刈っている男を見て、息子の嫁は「お父さんは若い」と思ったに違いない。

 東急ハンズでいろいろ細々したものを買い求めて家に帰ったら、先日郷里の中学校の同級会のとき57年ぶりにあったある旧友からその時の写真を同封した手紙が届いていた。この旧友は中学校を出てすぐ鉄工所で働き、腕一本でたたき上げ、自ら会社を興して成功し、息子に経営を継がせて自分は会長に納まり、なお現役で活躍している。旧友たちと写った自分の写真を見て我ながら「若く見える」と思った。若く見えても齢は齢、生理的年齢は皆と変わらない。今日も往年の名優・佐藤慶が82歳で肺炎で他界したという記事が新聞に出ていた。その年齢に応じて自重しながら日々を過ごすことが肝要であると思う。

 大阪に住む二男の家族皆からも「お誕生日おめでとう」のコールがあった。ここ半年以上会っていない3歳になる孫からもたどたどしい言葉使いで祝福された。嫁からは「○○(孫の名前)が大人に成長してゆくまで元気でいて下さい」と励まされた。肉体的にも精神的にもまだまだ元気で一見壮年のように見えると思うが、この状態を3歳の孫が20歳になる時まで続けられることは絶対あり得ない。

 毎年のことであるが、二つ違いの実弟からも電話があった。実弟は東京の有楽町に本社を置き環境改善の技術に関わる事業をしている。お互い忙しく久しく会っていない。しかし時間を作って会い、早世した妹が世話になった叔父の墓参りを兼ねて松戸まで行き、永年の無沙汰も詫びようと話が決まった。

 その弟は気功や真向法などいろいろやって健康維持に最大の努力をしているためか、年齢よりも相当若く見られると言う。「125歳まで生きる」というので「俺の骨を拾ってくれ」と冗談を言っておいた。彼はもともと字が上手であったが永遠書道をやり師範免許を持ている彼の妻と同じ書道の会に入り、短期間のうちにみるみる上達し師範級の評価を受けるようになったという。「素晴らしいね。俺もM子(妻)もそれぞれ役割を明確に意識していて、遠い先祖のことをわが家に後世まで伝えて行く仕事を完成させたいと思う。」と話した。

13 たといその修行僧が三種の明知を体現していて、死を打ちのめした者であり、汚れが無いとしても、無智なるものどもは「かれは人に知られていることが少ない」といって、かれを見下す。