2010年5月6日木曜日

ブッダ『感興のことば』を学ぶ(47) (20100506)

 男はもうすぐ73歳になる。昨日夜、NHKで歌謡チャリティショーがあり、‘若大将’加山雄三が最後に出場した。「73歳になった」と言っていた。同じ年とは言え、何もかも男とは雲泥の差である。先日郷里の中学校の同級会があり50数名同じ年の同級生たちが集まったが、皆加山雄三や他界した美空ひばりと同年である。その意味では加山雄三や美空ひばりにある種の親近感があるが、片や大スター、大歌手、片やどんぐりの背比べのような一般庶民である。比べようもない。しかしそれでよい。

 男の齢よりも3年早く70歳で他界した父は病床で弟に「N(男のこと)は失敗した」とつぶやいたという。先日の同級会で小学校時代からのある同級生が、男が回り道をしたような人生を送ったことを大変残念がっていた。当の男は少しも残念に思っていない。人の一生の成功・不成功は、その人が棺桶に片足突っ込んで自分の人生を振り返り、ニコッと笑えるかどうかで判定されると思う。男はニコッと笑うことができると確信している。

 加山雄三も自分がピンチのどん底に落ち込んだ時、自分を支え励まし続けてくれたのはカミさんであると舞台の上から感謝していたが、男も女房にはあらゆる面で感謝している。人それぞれには天命あり、男も女房もその天命を明確に意識している。

 家族力というものを考えると、わが家ではその家族力が極めて強いと思う。それには女房が子どもたちを良く育てあげたことが最も大きな影響があったと思う。お互い離れて暮らしていても、家族の誕生日や母の日などにカードを送ったり何かプレゼントを贈ったり、どこかで落ち合って食事をしたりする。

 世の中には家族力が弱い家庭がかなりあるようである。家族は社会の中の最小の組織単位である。その組織単位が集まって社会が構成されている。どんなに貧しくても家族の間で暖かい愛の交流があればその組織単位は光を放っている。プレゼントするものを買うお金がなくても50円のはがき1枚だけで相手に思いを伝えることはできる。会えば笑顔で会話を交わすことはできる。家族力はコミュニケーション力である。

 今時の若い人たちは、お互いメールでコミュニケーションをしていることが多い。職場で同じ部屋の上司に何か報告する場合でも、会って目線を合わせて、直接言葉で報告せずにメールで報告する者がいるという。話す言葉でも直接ずばりと言わず、遠まわしに、仮定的に、自分自身が傷つかないように話そうとする。一見親しげに会話している間柄であっても心を許しあう間柄でない場合が多いようである。年寄りがいくら嘆いてもどうにもならないものであるが・・・。


 ブッダ「感興のことば」第12章は20番で終わる。第13章「尊敬」に移る。

2 愚かな者は知識が生じても、ついにかれは不利なことになってしまう。それは愚かな者の好運(しあわせ)を滅ぼし、かれの頭を打ち砕くであろう。