2010年8月6日金曜日

原爆投下による殺りく(20100806)


また原爆記念日がやってくる。ヒロシマは8月6日、ナガサキは8月9日である。

アメリカ軍と頑強に戦っていた日本軍はようやく沈黙の状態に入った。一方サイパン島、テニアン島、硫黄島、沖縄などで日本軍は玉砕した。

日米両国の壮絶な殺し合いの結果、ヒロシマでは人口35万人(推定)中、約14万人が死亡、ナガサキでは人口24万人(推定)中、約7万4千人が死亡。(出典:『ウイキペディア』)生存者中非常に多数が原爆後遺症発症。

玉砕(ぎょくさい)は、太平洋戦争(大東亜戦争)において、外地で日本軍守備隊が全滅した場合、大本営発表でしばしば用いられた語である。

玉砕はアッツ島、ペリリュー島などでもあったが、沖縄では戦死者・行方不明者94,136名、民間人死者94,000名、アメリカ軍戦死者・行方不明者12,520名。硫黄島では日本軍戦死者20,29名、捕虜1,023名、アメリカ軍戦死者6,821名、戦傷者21,865名。サイパン島では日本軍戦死者25,000名、自決5,000名、捕虜921名、アメリカ軍戦死者3,500名、戦傷者13,160名。テニアン島では日本軍戦死者8,010名、捕虜313名、アメリカ軍戦死者328名、戦傷者1,571名。グアム島では日本軍戦死者18,000人、戦傷者485人、アメリカ軍戦死者3,000名、戦傷者7,122名であった。(出典:『ウイキペディア』)

特攻隊戦死者は合計6,271名、内士官475名、予備士官1,149名である。(出典:『ウイキペディア』)われわれ日本人の死者が圧倒的に多い。世界に類例がない。

これらの尊い命が失われたことを今の日本人は決して忘れてはならない。「大量殺りく」という言葉を使うならば、ヒロシマやナガサキに対する原爆投下はそれ以外の何物でもない。

ナガサキへの原爆投下でキリスト教徒が多い長崎への原爆投下は、当時の爆撃機搭乗者の証言によれば投下目標は市の中心から3km外した場所だったということであるが、天候不良によりその場所への投下ができず、市の中心部に落としてしまったということである。

戦後アメリカは原爆投下により2人のキリスト教神父、850人のキリスト教徒を殺し、聖母マリヤ像・天主堂などを破壊してしまったことを悔やみ、長崎から原爆投下の痕跡を消し去ることを欲し、当時の長崎市長らに働き掛けて浦上天主堂や聖母マリヤ像など原爆で破壊された一切の痕跡を消し去ることに成功した。

当時訪米した長崎市長はアメリカ各地で大歓迎を受け、長崎はアメリカのセントポール市との間で姉妹都市関係を結び、アメリカがキリスト教徒の多い長崎に原爆を投下したという事実は世界中に宣伝されることがなくなった。その一方で広島の名前は世界中の人たちに良く知られている。

戦勝国により‘精神’の面で弱体化させられてしまった日本は、アメリカの核の傘に頼り、韓国軍による竹島の占領に指をくわえて見ており、ロシアによる北方四島の占領・自国領土化政策促進に顔をしかめるだけである。そして自虐的史観にとりつかれている

日本が再び強くなる道は、憲法改正、国軍創設、科学技術力世界一化の三つにある!

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