2010年8月9日月曜日

三島由紀夫の檄文(20100809)


男は三島由紀夫の檄文の趣旨には大いに同感である。以下その同感する部分の抜粋である。

「われわれは戦後の日本が、経済的繁栄にうつつを抜かし、国の大本を忘れ、国民精神を失い、本を正さずして末に走り、その場しのぎと偽善に陥り、自ら魂の空白状態へ落ち込んでゆくのを見た。政治は矛盾の糊塗、自己の保身、権力欲、偽善にのみ捧げられ、国家百年の大計は外国に委ね、敗戦の汚辱は払拭されずにただごまかされ、日本人自ら日本の歴史と伝統を涜してゆくのを、歯噛みをしながら見ていなければならなかった。」

「自衛隊は違憲であることは明白であり、国の根本問題である防衛が、御都合主義の法的解釈によってごまかされ、軍の名を用いない軍として、日本人の魂の腐敗、道義の頽廃の根本原因を、なしてきているのを見た。もっとも名誉を重んずべき軍が、もっとも悪質の欺瞞の下に放置されて来たのである。自衛隊は敗戦後の国家の不名誉な十字架を負いつづけて来た。自衛隊は国軍たりえず、建軍の本義を与えられず、警察の物理的に巨大なものとしての地位しか与えられず、その忠誠の対象も明確にされなかった。」

「憲法改正によって、自衛隊が建軍の本義に立ち、真の国軍となる日のために、国民として微力の限りを尽すこと以上に大いなる責務はない、と信じた。」



男は、三島由紀夫は自衛隊に決起を促したのだと思う。しかしそれは所詮無理なことであった。そのことは彼自身も十分わかっていたに違いない。彼は市ヶ谷の陸上自衛隊東部方面総監室で総監を人質にし、総監室の外のバルコニーに出て演説し、その後、総監の目前で武士の作法に従って切腹し、介錯を受けて果てた。そのことにより、彼は国を憂える気持ちを人々に訴え、日本人としての自覚を取り戻してもらうことを期待したのではないかと男は思う。当時彼の行動を非難した人々や自衛隊員も少なくなかったようであるが・・・。

インターネット「三島由紀夫Wikipedia」により三島由紀夫の生い立ち、出自、教育環境、経歴などを概観すると彼の行動の本質が見えてくるようである。

人は、誰でもバックグラウンドを持って発言し、行動する。そして自分の発言や行動の正当性を主張する。そして他者が自分の発言や行動に対して批判をすれば、そのことを非難し、周囲の同じような思想をもつものに同調を求める。これが人の常、世の常である。

しかし三島由紀夫は日本の国の形のあるべき姿を強く追い求めた。日本国民の自覚を促して平和ボケしている国民の目をさまさせようとした。そこで彼は国民に最もインパクトを与えるため陸上自衛隊東部方面総監室で武士の作法に従う手順で切腹し、介錯を受けた。彼は自分が生きている間に目的を達成しようとは思わなかった。彼こそは現代に生きる真の武士であった。彼の理念や精神は決して風化することなく永遠に伝えられるであろう。

三島由紀夫の檄文について部分的にせよ全体的にせよ同感する者は非常に多いであろう。男もそのうちの一人である。男は自分の余生の役割の一つとして、この愛する日本の国のため、老骨ながら自分にできることを憶することなくやって行こうと思っている。

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