2010年8月29日日曜日

北方領土(20100829)


 26日付の読売新聞に、福岡市内の旅行業者がロシアのビザで北方領土への観光旅行を企画し、日本人9人がロシアのビザを取得して北方4島を訪問したことが分かり、外務省がその業者に厳重抗議したこと報じられている。件の業者は「今後このようなことはしない」と言ったという。

 以下は北方領土に関する外務省の公式見解の一部を「である」調でここに書きとめるものである。戦後日本人は近現代史について十分な教育を受けていない。政府は未来を担う子供たちに対して日本緒近現代史についてしっかりした知識を教え込むようにすべきである。

① 日本はロシアより早く、北方四島(択捉島、国後島、色丹島及び歯舞群島)の存在を知り、多くの日本人がこの地域に渡航するとともに、徐々にこれらの島々の統治を確立した。

② それ以前も、ロシアの勢力がウルップ島より南にまで及んだことは一度もなかった。1855年、日本とロシアとの間で全く平和的、友好的な形で調印された日魯通好条約(下田条約)は、当時自然に成立していた択捉島とウルップ島の間の国境をそのまま確認するものであった。それ以降も、北方四島が外国の領土となったことはない。

③ しかし、第二次大戦末期の1945年8月9日、ソ連は、当時まだ有効であった日ソ中立条約に違反して対日参戦し、日本がポツダム宣言を受諾した後の同年8月28日から9月5日までの間に北方四島のすべてを占領した。当時四島にはソ連人は一人もおらず、日本人は四島全体で約1万7千人が住んでいたが、ソ連は1946年に四島を一方的に自国領に「編入」し、1949年までにすべての日本人を強制退去させた。それ以降、今日に至るまでソ連、ロシアによる不法占拠が続いている。

Wikipediaの記事が正しいかどうかは未確認であるが、そこには以下のような記事がある。

① 日本が「国際法上所属未定」と主張する中、日本以外の多くの国は、中・北千島や南樺太については、ロシアの領有権を事実上認めるようになっている。したがって、海外の地図は、中・北千島と南樺太をロシア領として処理している。

② 「北方領土」についても、ロシア領と地図上で表現する例がほとんどであり、根室海峡のみに国境線を引き、北方領土の部分には国境線を引かずに、地図上の「北方領土」部分に「ロシアが施政権を行使(ないしは占領)、日本が返還要求」という趣旨の記述を加えている地図出版社も見られる。

③ なお、中国の世界地図では、北方領土が日本領となっている。

 小沢氏は民主党代表選に立候補することを正式表明した。その小沢氏は26日付の読売新聞によれば、講演会で「米国人は単細胞」と言い、英国について「さんざん悪いことをして紳士面をしている」とこき下ろしている。その一方で両国を褒めている。 小沢氏は古代、日本はそうしなかったが中国の皇帝と名目的な君臣関係を結ぶ柵封を求めた当時の周辺国君主のように、反欧米的で中国をバックに政権を奪取したいと考えているように見える。