2010年8月8日日曜日

炎熱の夏も(20100808)

 炎熱の夏も8月10日を過ぎる頃峠を越えたと感じるようになる。夕刻になると家の中は風が吹き抜け、エアコンは要らないようになる。

 昨夜は窓を全開にして就寝した。風が吹き抜け肌寒いほどであった。しかし風が通らないところではすぐ暑く感じる。風が吹き抜ければ体内の熱をその風が奪って行くので涼しく感じるのである。

 男はようやく自分の家の由緒書の重要な部分を書き上げた。これが完成するとA4判、1行40字1ページ36行で50ページ近くになる大作とある。男は遺されていた系図の一部をもとに、膨大な史料を調査し、想像を逞しくしていろいろな可能性を検討しながら、何度も何度も修正してようやく完成するところまでこぎつけた。ここまで来るのに5年かかった。

 来週、従兄の家の初盆にお参りする。そのとき男は久しぶりに従兄弟・従姉妹たちに会う。そのとき彼らにこのたび書き上げたわが家の由緒書の重要な部分を渡す。この書には男が子供のころのことを書いてある。今齢70を超えている従兄・従姉とは男が子供の頃の思い出がある。彼らの母親・男の叔母たちは既にこの世にはいない。叔母たちの兄であった男の父親はもうとっくにこの世にはいない。

 男はいはば宗家の跡取りのような立場である。故あって父親が家督を継ぐことを放棄したので、先祖の墓守は男系ではつながらない親類が行っている。男には直系の孫息子が一人いるほか、男系ではあるが養子に行ったため名字が違う親類の息子が一人いる。わが家の男系の遺伝子はその二人が最終である。その先のことは彼らに男の子が出来たときである。

 彼らが由緒書をどう扱うかということについては、男は全く執着しない。ただ、男は自分の先祖のことを伝えるのは自分の人生の大事な仕事であると思っているだけである。誰がどう思おうと男にとってはどうでも良いことなのである。後世、男の子孫がそれを読み、何かを感じて身を正し、人生を真剣に生きてくれさえすればそれで良いのである。

 三島由紀夫は日本国民に強烈なメッセージを遺した。インターネットには陸上自衛隊東部方面総監室で自決した現場の写真や三島由紀夫の生首などが公開されている。檄文の全文も公開されている。檄文を読むと今の日本の現状は三島由紀夫が憂えていたとおりである。その時と今と何も変わっていない。男は明日のブログにそのことを書くつもりである。理由は、そのことも子や孫に伝えたいし、このブログを読んでくれる人にも伝えたいからである。それが今、ど受け止められようと男にとってはどうでもよいことである。

 2日ばかり窓から川を眺めるだけで川の周りの散歩をしていない。夕方の5時頃になると気温も下がり、日照りもそうきつくはない。男はそろそろ出かける支度をして散歩かたがた女房の注文に応じてうなぎの蒲焼を買ってこようと思う。暑い夏はうなぎが一番である。奈良の昔も歌に、痩せた男にうなぎを食べることを勧めているものがある。大伴家持が作った歌である。

石 麻呂に 吾れもの申す夏痩せに よしといふものぞ 鰻とり食(め)せ