2010年8月24日火曜日

映画『雨に日にパリに死す』(20100824)

 さるお方から葡萄のピオーネとロザリオ・ビアンコを贈られた。毎年お盆とお歳暮の贈り物をしたり、頂いたりしている。送る時は多少の値段が高くても、できるだけ美味しいもの、珍しいものを贈るようにしている。頂き物も日頃値段が高くてちょっと手を出しかねているものである。このようにして贈り物をしたり頂いたりすることは楽しく、嬉しい。

 このところ数日間は日中よく風が吹き抜けるので日中エアコンを使うことはなかったが、今日(23日)は無風状態で屋外は相変わらず蒸し暑い。そこで今日は、昨夜来エアコンのスイッチは切らずにいる。夕方近くなって気温が下がって来たら出かけようと思っている。

 昨日は夕刻、多小気温が下がってからシャワーを浴び、女房と一緒に散歩に出かけた。横浜トレッサのフロアでDVDや本などを安売りしていた。男は『雨の日パリに死す』など古い映画のDVDを5本買い込んだ。女房も『想い出のフォーク&ポップス』を買った。

 昼前、二人で『雨の日パリに死す』を観た。エリザベステイラーが主演の映画である。もう56年も前に創られた映画である。第2次大戦が終わって間もないころのパリの風景が映し出されている。「ここに写っている人たちはもう死んでいるわね」と女房が言う。半世紀経とうと人々の心や暮らしぶりは変わらない。何千年経っても変わらない。ただ、人は老い、この世を去って行くだけである。何十年も後の世に、このブログの記事を読んだ人が、何十年も前の世に、一組の老夫婦が安売りのDVDを買ってきて50年以上も前のパリの風景を映し出した映画を観たということを知る。但し、「この記事を読む」という仮定付きである。何十年の後に読まれると言うことは、全く期待せず、ある夏の暑い日の午前のひとときのことを記す。記して自己満足している。DVDの画質は意外に良かった。

 このようにして自己満足できる人は大変幸せである。世の中には何か創造的なことをする能力もなく、何か他者を援けることをすることもせず、病院のベッドに横たわっている人も多い。家の中に閉じこもっていて人が訪れて来ることや電話がかかってくることを数少ない楽しみの一つにしている独居老人も多い。

 日本対がん協会会長の垣添忠生先生が書いた『がんの妻を看取る』という記事が出ている。人はがんには勝てない。勿論早期発見でがんを克服した人は多い。しかし早期発見でも克服できないがんがある。先生の奥様の場合「小細胞肺がん」であった。

 男は前立腺がんを摘出手術により克服しているが、もし「小細胞肺がん」のようながんに侵されたら発症して短期間に死に至るであろう。今如何に元気そうにしていてもある日突然治癒見込みの無いないがんに侵されるかわからない。命は無常である。

 そこで、日々「あの世」逝きの死に支度を行っておく必要がある。この支度のための作業は楽しくもあり、「急いで完成させなければ」という焦り感もある。『雨の日パリに死す』の登場人物たちのように、その時々を精一杯楽しみ、死を忘れるような生き方は羨ましくも思うが、いくら金が自由に使え、金に困らない暮らしであっても、何かさびしい気がする。常に自分の死を意識した生き方の方が淋しくないように思う。