2010年12月23日木曜日

旅人の宿りせむ野に (20101223)


  久しぶりテレビで『日めくり万葉集』という番組を観た。昨年録画しながら老妻と二人でずっと観ていた番組である。同じ内容のものが再放送されている。

  今日は昨年10月1日に放送されたものである。「旅人(たびびと)の 宿(やど)りせむ野(の)に 霜(しも)降(ふ)らば 我(わ)が子(こ)羽(は)ぐくめ 天(あめ)の鶴(たづ)群(むら)」(巻九・一七九一 遣唐使の母)

  この歌の作者は遣唐使の母が詠んだものである。遣唐使は舒明2年(西暦630年)8月に第一次が派遣され、寛平6年(西暦894年)8月に第18次派遣が中止されるまでずっと続けられた。ちなみに白雉4年(653年)の第二次遣唐使船は、入唐の途中、竹島付近で遭難している。4隻の船団の全部または一部が遭難したのは、第二次、第九次、第十次、第十四次、第十六次、第十七次遣唐使の時である。第十二次、第十三次は船が破壊、又は無風で中止となっている。遣唐使は大変苦労し、命を失うという危険を冒してまでして、当時先進国であった中国の良いところだけを吸収し、日本に持ち帰って来たのである。

  この放送番組でこの歌の撰者はジェニ・ワキサカという日系二世のブラジル人である。彼女は「吾子が手の届かない遠くに行ってしまうことに対する寂しさや憂慮、そこには子を思う母の気持ちが表れていて、私も共感を抱く歌です」と語っている。

  彼女は1971年、44歳の時サンパウロ大学に進学し、1987年に博士号を取得している。2008年にNARA万葉世界賞を受賞しており、著書に『万葉集―日本古典和歌への道』などある。なお、この歌はポルトガル語に翻訳されている。(NHK『日めくり万葉集vol.10』より引用。)

  この番組を一緒に観ていた老妻は、「私でも○○(長男の名前)がアメリカに留学したときも、○○(二男の名前)が海外に出かけたときも、成田で別れるとき‘これが最後になるかもしれない’と思ったわよ」とぽつんと言った。

  戦時中、日本の母親たちはわが子を戦地に送り出すとき、「これが最後だ」と思い、悲しかったことだろう。夫を送り出すときも同じ気持ちであったことだろう。送りだされた男たちは、同じ釜の飯を食う戦友との連帯感の中で「(家族に)恥をかかせないように」し、「名誉を大切に」し、「(過酷な状況にあることを)辛抱」し、「(終りの見えない苦しい状況にじっと)忍耐」し、「(少しでも状況を良くするように)努力」した。

  そして軍人約186万人、軍属約9万5千人の戦死者を出し、それを上回る戦傷者を出し、戦争に敗れた。日本は戦争には負けたが、戦争の目的は達成した。それは欧米の植民地を解放するという目的である。東京裁判で自虐史観を植え付けられてしまったが・・・。

  今の日本があるのは、彼ら英霊たちのお陰である。そのことを今を生きる日本人は決して忘れてはいけない。中国は黄海で韓国艦艇に自ら衝突して沈没した中国の漁船の補償を韓国に要求した。尖閣諸島での事件のときも中国はわが国に同じことを言った。中国は黄海や日本の奄美から南西諸島にいたる海域の太平洋側まで自国の領土・領海とすることを綱領や臨時憲法で明記している。人民のレベルでは中国人と日本人はとても良好な関係であるのに、国のレベルでは中国は日本にとって非常に不愉快な隣国である。

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