2010年12月14日火曜日

政治家から見た政治家(20101214)


  政治家は「民意」や「世論」を気にしながらも、自分が尊敬或いは支持する政治家に自分の政治生命の維持を託そうとする。自分が政界で「出世」するためには自分の「親分」の力、それも「政治家から見た政治家」の力であるが、それに頼る。その「力」の源泉は「金」である。政治家にとって政治活動のために「金」は喉から手が出るほど欲しいものである。金がなければ政治家としての自分の力が発揮できないと考えている。

  茨城市議会議員選挙では、小沢氏から金を貰い、指導を受け当選した谷亮子氏ら有名人の一年生議員が街頭で声を張り上げ、この国をめちゃめちゃにしてしまった鳩山前総理も駆けつけ懸命に努力したが、結果は惨敗であった。今のままでは民主党は統一地方選挙で勝つことは絶対に不可能であろう。

  市井の人々から見る最も望ましい政治家とは、 「最大多数の最大幸福」の実現に向けて、自ら志を持ち、自分の志を自分の言葉で語り、当選してもし自分の言葉通り事が運ばず、自分を応援してくれた人々の期待を裏切った場合、昔で言えば「切腹」し、自分の言葉に対して責任をとるような「誠実」な人である。今時の政治家でそのような高潔な人は非常に少ない。そのことが国民大衆の閉塞感につながっているのである。

  ここに西郷隆盛(号:南洲)の作詞を記す。彼は自分の言葉通り「安き」を謀らず志を全うし、鹿児島の城山の洞窟で自決した。介錯人は別府晋介(通称、本名は景長)である。銃弾で負傷した西郷が自決を覚悟すると晋介は、自分自身も足を負傷し籠に乗って移動していたが籠から降り、「御免なったもんし(お許しください)」と言って切腹した西郷の首を刎ねたという。晋介はその後銃弾の中、切腹し若干31歳の若さで自ら命を絶っている。

  何処から得た金か知らないが、一人5百万円以上の金を配り、多くの「志があるかどうかわからぬような新人」を当選させた小沢氏は「自分の姿勢と政治生活において、一点もやましいことはない」と言っている。何億円という大金の出所は明らかにしていないが、その金を(「自分の」政治に対する)姿勢と政治生活において一点のやましいことはなく、多くの議員を当選させた、だから金の出所を問われるのは心外であるということであろう。



  『 天意を識(し)る』 西郷南洲 作






 一貫す唯々の諾    従来鉄石の肝 


   貧居傑士を生じ    勲業多難に顕(あら)わる


   雪に耐えて梅花麗しく 霜を経て楓葉丹(あか)し   


   如(も)し能(よ)く天意を識らば     豈(あに)敢(あ)えて自ら安きを謀(はか)らんや



  「貫唯唯諾」という言葉は、『論語』の「里仁第四」にある「子曰、参乎、吾道一以貫之。曾子曰、唯、子出。門人問曰、何謂也。曾子曰、夫子之道、忠恕而己矣。」から引用している。老人は、今、この日本に、西郷隆盛のようなリーダーが必要であると切に思う。

0 件のコメント: