2010年12月30日木曜日

新幹線の旅(20101230)


  今、新幹線の中でこれを書いている。9時9分新横浜発のぞみ19号は定刻通り新横浜を出発した。今日もお天気がとてもよい。列車の到着を待つ間、ホームで暖かい日差しに照らされる。気分は爽快である。女房に「帰るのが憂鬱?」と聞くと女房は「憂鬱」という。「俺は列車の旅が楽しい」と言うと「それは同じよ、でも帰れば仕事が一杯待っている、婆さまは私が帰ると何もしなくてすむし、ただじっと炬燵に座ってテレビを見ていれば、ご飯が出てくるし、楽だから私の帰るのを待っているのよ、ただそれだけよ」という。「婆さま」とは男の父親の後入りで女房にとっては実母である。しかし女房はその「婆さま」が男の家に後入りで来て以来、その「婆さま」とは一緒に暮らしていない。女房にとって「婆さま」の実家の叔父と叔母(叔父の嫁)が実質親代わりであった。

  昨日までばたばたして帰る準備をしたが、それは今朝、家を出る直前まで続いた。女房が好きなので、わが家では熱帯魚も金魚も飼われているし、シクラメンやデンマークカクタスや三色すみれなで沢山の花が育てられている。それらを一週間あまり不在の間、よい状態を保つため普段より余分の仕事が増えるのである。花は枯らさないように毛細管現象を利用した給水システムを使ったり、魚は飢え死にさせないように長期餌を与えたりする。二人暮らしとは言え綺麗好きなので洗濯物は多い。夕べ使った下着や寝巻なども洗濯して室内に干しておく。「発つ鳥跡を濁さず」の諺のとおり何もかもきちんと始末して家を出る。それは、もし万一事故か何かで死んだ後、他人に笑われないようにしておくためである。

  男の亡父が遺した家は風光明美な土地にある。田舎とは言え生活には便利である。男は其処が好きなのであるが、さりとて其処に定住することは難しい。都会の生活の良さを捨てることはできない。良いところ取りはできない。ただ、そう遠くない将来、男も女房も体が弱ってきたときどうするか考えなければならない。終の棲家は都会地よりも田舎にある老人ホーム、それも温泉地にある老人ホームの方が良いと考えている。

  今回年末のため新幹線の予約の変更は簡単ではなかった。初めの計画では博多からバスを利用しようと考え、博多からの列車の乗り継ぎのことは頭にはなかった。しかし大雪の恐れもあり山間部を通る博多からの高速バスの利用をやめ、特急列車に変更した。博多での列車の乗り継ぎのことがあり、新幹線の予約を変更しようと試みたが、いずれも満席で変更できなかった。博多でちょっと待ち時間があるが、一つ前の列車のグリーン車だけが利用できた。このため初めてであるがグリーン車にした。これは値段が高いがそれだけのことはある。飛行機を利用しても年末は新幹線のグリーン車で帰るのと比べ費用は大差ない。むしろ費用の割には時間的にも気分的にもゆっくりできる。繁忙期でなければ飛行機の方が断然安い。だから盆正月は飛行機を利用せず新幹線を利用している。ただ今回だけはそれもグリーン車になった。女房のストレスも幾分解消されるだろう。

  N700型ののぞみ号には列車内でインターネットができるようになっている。無線LANを利用するのであるが、そのためには予め無線LANの業者と契約しなければならない。男は列車内でわざわざインターネットをしなければならないような仕事をしているわけではない。列車内にAC100ボルトのコンセントがありさえすれば、内臓バッテリーのことを気にせず長時間パソコンに向き合うことができる。グリーン車では座席の肘のところにコンセントがあるので、そここら電源を取ってパソコンを動かしている。隣で女房は持参したプレーヤーで音楽を聴きながら本を読んでいる。列車は名古屋に着いた。