2010年12月13日月曜日

美しい国・日本 (20101213)


  時間と言うものは容赦なく過ぎて行く。日曜日の今日一日何に多くの時間を割いたかと顧みると、老人は老妻と散歩がてらリサイクルの店に立ち寄り、ホームセンターに立ち寄り、大型複合商業施設「トレッサ横浜」まで足を伸ばし、家に戻るとBSフジで丁度奈良や京都の世界遺産のドキュメンタリー番組が始まったのでそれを見、夜NHK『坂の上の雲』を見るのに多くの時間を費やしている。その他、掛けている保険の整理をしたり、年賀状の宛先の整理をしたり、今こうしてブログを書くのにそれぞれ時間の塊を費やしている。

  奈良や京都の世界遺産を紹介している番組を見ながら、「来年は奈良に少しの日数滞在してゆっくり見て回りたいものだね」と語り合う。老人と老妻はこれまで何度か奈良や京都を訪れている。ただこれまでの旅は2泊程度の小旅行で、時間をかけてゆっくり見て回ったという満足感はない。今一度心行くまで奈良や京都を見て回りたいという願望はある。

  年の初めに豪華客船で横浜から四国まで旅をする人もいるし、年末年始の間海外に旅行する人もいる。しかし、老人と老妻はそのような旅をしたいとは全く思わない。この日本には美しいところ、価値あるところがあまりにも沢山ある。四季折々とても素晴らしい所が沢山ある。千年も千何百年もの間守り伝えられてきたものが沢山ある。

    日本と言う国には実に美しいもの、価値あるものが非常に沢山ある。それらは天皇を守り、天皇を支えてきた貴族たち、皇族や貴族の子孫で僧侶になった人たち、その人たちのリーダーシップのもとに寺や仏像や庭園や文芸やその他の物を造った人々、そしてそれらに人たちによって受け継がれてきたものが今日まで伝えられ、われわれの前に遺産として提供されているのである。

  人は何に多くの時間とお金をかけるかということは、その人の考え方による。お金持ちでなくても普段倹約し、必要なところに金を使う。見栄は張らず、ブランド品にも興味はない。自慢もしない。それが一番望ましい。しかしそのような考え方は、その人がこの世にもって生まれたもの(DNA)に加えて、この世に生れてから現在に至るまでの家庭環境、教育環境などによって生じるものである。

    一般に教養が低い人ほど、浪費をし、見栄をはり、ブランド志向をし、自慢をしたがる。そのようにして他者に対して自分を優位に示さないと自分自身が不安定で仕方がないのである。では老人自身にはそのような傾向が全く無いかと問い詰められるとすれば、老人も世間体を気にし、相手の者に何かを感じ取ることがあれば用心をし、先手をとろうとし、実際にそのようにしていることがある。

    人の世界も、動物の世界も、強い者が生き残る。これが自然の理である。「知は力」という言葉がある。「知」が劣る者は「知」が勝るものより弱い。「知」はただ単なる「知識」ではない。その人がこの世にもって生まれたもの(DNA)に加えて、この世に生れてから現在に至るまでの家庭環境、教育環境などによって生じる総合されたものである。この「知」の力は金の力にも勝る。「教養」が集約された概念が「知」である。

    この島国の日本には、そのような「知」が他国に比べ高密度で分散しているように思う。だから日本は非常に美しい国なのである。

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