2010年12月8日水曜日

国指定名勝「三溪園」の紅葉(20101208)

  男は老母の介護のこともあって横浜陶芸センターでの陶作活動は休止中である。休止する前に釉がけしてあった多目的皿が一枚焼き上がっているのを年内に受け取りに行こうと思っていた。

  国指定名勝「三溪園」は、その横浜陶芸センターの直ぐ近くにある。この三溪園は生糸貿易で財をなした横浜の実業家・原三溪(実名・富太郎)の元邸宅である。彼はここに京都や鎌倉などから歴史的に価値のある建築物を移築し、明治39年(1906年)に「三溪園」として一般に公開したものである。175,000 ㎡(約53,000坪)の園内には10棟の重要文化財を含む17棟の古い建築物が四季折々の自然の景観の中に巧みに配置されている。(以上、財団法人三溪園保勝会発行小冊子より引用)

  男と女房はよくこの三溪園に行く。仲秋の名月の時には森の木立の上から昇ってくる満月が大池の水面に映え、小舟の陰影とともに何ともいえぬ風情がある。このとき臨春閣という紀州徳川家初代・頼宣が和歌山・紀ノ川沿いに建てた数寄屋風書院造りの別荘建築の座敷で、邦楽の演奏会が行われる。老人と老妻は今年もその日の夜、其処に遊んだ。

  男と女房は毎年その三溪園の紅葉を楽しんできた。今年はいろいろあって最良の時期に其処を訪れることができず、少し遅いが紅葉はどうだろうかと思いつつ、今日(7日)、焼き上がった作品を受け取った後、三溪園に行ってみることにした。

  三溪園には、男も女房も敬老パスで無料で入ることができる。男が陶芸作品を受け取り、其処で陶芸を教えている若い女性の先生たちや事務の女性、一緒に陶芸を楽しんでいた仲間の女性らと会話を交わしている間、女房は先に園内に入り、写真を撮っていた。

  三溪園の紅葉はとても綺麗であった。1週間ほど前であれば尚綺麗であったことだろう。携帯電話で「いつもの銀杏の木のところにいます」と女房が言う。其処へ行ったが女房は見当たらない。銀杏の木は園内の合掌造り旧矢箆原家住宅のあたりにあったけな、と思いつつもう一度電話してみる。「ここよ」と女房が遠くで手を振っている。大きな銀杏の木があるところは海岸門をくぐって春草盧という織田信長の弟・有楽斎の作であると伝えられている三畳台目の茶室に向かう途中にある。去年、其処には地面一杯に黄色い銀杏の落葉が積もっていた。今年は去年ほどではないが矢張り銀杏の落葉が美しかった。

    女房は今月初め友達と奈良に遊んできた。其処の紅葉も綺麗であるが、三溪園の紅葉は何処にも勝る風情があり、最高に美しいと思う。女房は「今年はだめかと諦めていたが、来てよかった」と感激して何度も同じことを言う。

    園内にはつわぶきの花が黄色い花をつけている。海側の南門から入ったところは日当たりが良いため、水仙が見事な花をつけている。初音茶屋を経て梅林に行く途中、道端に水仙が花を咲かせようとしている。梅林ももうじき花をつけることであろう。大池に向けて渓流のようになっているところに架かっている寒霞橋を渡り旧東慶寺仏殿を見、旧矢箆原家住宅を見、風情のある美しい紅葉の写真を摂りながら、待春軒という茶屋に立ち寄る。

    そこで女房は原三溪が考案したと言う三溪園そばを取り、男はたぬきうどんを取り、一服したのち二人は帰途についた。お陰さまで今日もとても良い日であった。