2010年12月6日月曜日

ウォーキング(20101206)

  今日、日曜日も温暖な天気である。空は晴れていて風も穏やか、ウォーキングには最適な日和である。男は昼前、近くの川に沿って川下の方に歩いて行った。8人乗りのボートが何艘も川を上ってきている。白い帽子に白いシャツ、オールを漕いでいる人たちは齢の頃50代、60代だろう。コックス兼トレーナーが声をかけて漕ぎ手を叱咤激励している。リズミカルにオールが水を打つ音が力強く、老人はオールを漕ぐ男たちを頼もしく思った。

 家では良いお父さん、又は夫であろう。家では今日うるさいおやじが居なくて、妻たちはそれぞれ家事や自分の好きなことをやっていると思うが、片や男たちはたまの日曜日、こうして集まり、ボートを漕ぐ訓練に参加している。この川の川下に市の漕艇場があり、男たちは市体育協会が主催するボート教室に応募して参加し、仲間を作り、プログラムに従って訓練を受けているのである。

    男はもし自分が彼らの年代であったなら、是非参加することだろうと思った。しかしそのような年代は過去のことである。そのころこのような施設はなく、川も汚く、風景も美しくは無かった。この川でこのようなボートの訓練が始まってから10年も経っていないと思う。近年ウォーターフロントの整備が進み、川岸の両岸の民家も色とりどりの新しいものに建て替えられ、景色が良くなってきている。この川のウォーターフロントは市民の憩いの場であるが、大規模災害時の防災活動の拠点ともなるように整備されている。

    男はかつて街づくりの区民会議に参加し、積極的に活動していたことがあった。今では自ら遁世隠居老人と称し、年寄りが余計な口出しをするようなことから努めて遠のいている。そのようにして浮いた時間を自らの人生の締めくくりのため使っている。事業家である弟から「兄貴、まだそう達観するのは早いよ。人間の自然の寿命は125歳というから、僕は125まで生きるつもりだ」と言われている。

    男も女房もこの世で思い残すようなことはあまりないと思っている。全てが満ち足りている。上を見れば切りがなく、下を見ても切りがない。「吾只足るを知れば」何一つ不足はない。その時々の状況に応じて事を為せばそれで良いと思っている。物欲が無いと言えばそれまで、金銭欲がないと言えばそれまでである。しかし夢のため今年も3000円出して園末ジャンボ宝くじを買った。毎年当たりもしないが、買わなければ当たることも無い。宝くじのため出したお金の一部が他者の幸せのために使われるなら無駄な支出でもない。

    男はこの世においてまだ完成していない部分は多少残っているが、あの世に行くまでには完成させることができるという見込みはある。しかし完成を急ごうとも思わない。時の流れに従って、物事はなるようにしかならぬものであると思っている。無病息災を願い、精進努力はするが、若し自分が病気になってももがくことなく、自然に任せることだろう。

    川の堤防の上を歩いているときジョギングしている白人の若い女性とすれ違う。昔は毛色の変わった人をみかけることは稀だったが、今は多くの外国人が日本で暮らしており、毛色の変わった人をみかけても特別視する人はほとんどいない。この川の川辺の空き地でインド人のグループがクリケットを楽しんでいる。その場所を彼らに先取りされたらしい少年野球の子供たちが、場所が空くのを待ちながらのんびり観戦している。