2010年12月5日日曜日

弟との会食(20101205)


  昨夜(3日)男は横浜のとある居酒屋で二つ違いの弟と久しぶり会い、楽しく語らった。我は73、彼は71、お互い結構長生きしてきたものである。いろいろなことを語り合ったが、男にとって人生の目的は、究極的に何であるかということがメインであった。

  人も所詮その本能の部分においては種の保存に対する欲望がある。人間であるから本能の部分を前頭葉で抑え込み、あからさまにしないように振る舞っているだけである。しかし人は何故宇宙開発を推進しているのか?結局はこの地球が人間の住む環境でなくなったときに備えて、人類の種の存続を宇宙のどこかで実現しようとしているのである。

  勿論そのときはこの地球上の全人類のうち非常に限られたごく少数の男女と、多分僅かの動植物しか存続させることはできず、この地球上の殆どの生物はこの地球上で死滅する運命になるだろう。それでもごく限られた数の種の保存という目的は達成されるだろう。

  この地球上において、今この時間において、男たちは他の動物同様、自分の子孫を残したいと願望している。動物である雄と違って、男たちが残したいものは名誉とか業績とか社会的な価値もある。女たちはその点においては男たちほどではないだろう。男勝りの女は別として・・。

  本能的な部分で見るならば、好運な男たちは自分の子孫を残すことが出来ている。しかし、子孫を残すことができていない男たち(雄)も沢山いる。これが人間を含めた生き物の世界の実態である。「子孫を残す」ということは、男たち(雄)にとって非常に大切なことである。

  この日本で、30代の独身女性たちも本能的に子供を持ちたいと思っていても、生活の面で自立できていないためその欲求を満たすことができない状況にある。生活の面での安定を求めて収入の良い男と結婚したがる女性を、そのような自立を求めながらも満たされていない女性が非難している。「そのような女が居るから、女は男たちから見下げられるのだ」と。しかし男性の皆が高収入であるわけではなく、定職も持てず自立できない若い男たちも多い。これが現実の世界である。

  このような状況を動物の世界に対比して見ると、動物の世界では力量のある雄だけが群れの雌たちを独占でき、子孫を残すことができる。他の雄たちはその機会を狙って争うが、多くの雄たちは雌を手に入れることができない状況にある。人間も似たようなものである。

  男は妻をもつ男たちが複数の女性を愛することにとについて、社会通念上の考え方を言えと言われれば次のように答えるだろう。先ず、社会通念上それは不倫というものであって、それは絶対許されることではない、と言う。しかし続いて以下のように言うだろう。

    関係者の全員が等しく了解する観念として、男性と女性の間に色恋の感情はあったとしても男性は子孫を残すという一点において、相手の女性はその男性によってしか自分が望む子供を持ち得ないとう限定された条件において、たとえ社会通念上の不倫であってもそれは「最大多数の最大幸福」の実現のための唯一の方法であるということを関係者全員が等しく了解している限りにおいて、それはいわゆる不倫ではなく、関係者全員共通の目的達成の手段となる。その「社会通念上‘不倫’」と言われるものが、関係者全員が共通して目的達成の手段であることを了解していることが最も重要である。しかしこの世の中において、そのようなことがもし現実にあるのであれば、それは極めて希有のことである。