2011年12月27日火曜日

易とは無限の中(20111227)

 これは『安岡正篤 易経講座』という本に出ている見出しの言葉である。この本は男が女房と一緒に入院中の叔母に見舞いの品を贈るため横浜に出たとき購入したものである。その叔母は老人の生母の妹にあたる。女房はその叔母には会ったことがないが、男はものごころついてから五度ほど会っている。最後は男が40代のとき出張で岐阜に行った帰りに会っている。それからもう30年も会っていない。その叔母が先月の初め、家の中で転倒して大腿骨骨折という大けがをし、手術を終え転院してリハビリ中であるという。

昨日突然その叔母が入院先の病院から男に電話をしてきた。その叔母は85歳、夜10時ころ洗面所で頭部に急に耐えられないほどの激痛が走り、寝室に戻ろうとして転倒して大腿骨を骨折し、その後意識をなくして救急車で病院に運びこまれ、気がつたら病院のベッドの上だったということである。叔母の夫である叔父も90近い高齢者である。年寄りの二人暮らしであったからその叔父は大変驚き、夜も10時過ぎのことであったので救急車を呼んだり、入院させたりで相当難儀したことであろうと男は想像する。男も女房と二人暮らし、いつどんなことが起きるかわからないが、緊急時にはお互い助け合わねばならぬ。

さて、男は帰りの電車の中でその本に読みふけった。中国では官吏登用の試験・科挙には「易経」も試験科目の一つであった。「易経」は政治の道、男が名づける「政道」を正しく歩む上で重要であったと思う。これは今の時代でも変わらないと思う。

そこで男はこれから「『安岡正篤 易経講座』に学ぶ」と題して、自分のブログに投稿して行こうと思う。そしてこれをフェイスブックにも毎日リンクして投稿して行こうと思う。以前は渡部昇一の『決定版 日本史』を引用しながら日本の政治・外交・防衛に関し自分の考え方を添えてブログとフェイスブクに投稿していたが、今度は政治・外交・防衛は一切触れず、ただ人生について、人の生き方について自分の考え方を添えて投稿して行こうと思う。またこれまでかならい長期間放置していたブログ「仏教と現代の自然観との連関」にも投稿して行こうと思う。

男は政治・外交・防衛について無関心ではいられないが、ブログの上では人生哲学、フェイスブックなどでは他の人の投稿に対するコメントとして政治・外交・防衛問題に触れて行こうと思う。