2011年12月25日日曜日

死支度(20111225)

 月日のたつのは真に早いものである。この世にいる間にやっておかなければならないことがあるのに、それに手をつけられないままにいたずらに時間のみが経過して行くという感じである。それでも男は女房と全く同じ考えで「日々是(死に)支度」をしているので、少しづつではあるがしなければならないと思っていることが進捗している。

 今年はわが家では大仕事があった。若いときであれば何でもないことであるが、齢を取ってからでは「やるぞ!」と思いきらなければ手がつかないものである。昨年はこの実質26世帯の7階建て小さなマンションの二度目の大修繕があった。今年は給水管の管の中の掃除と結合部の切除・交換の工事があった。わが家では一昨年浴室をTOTOの新式のものに交換し昨年はトイレをINAXの新式のものに交換したが、今年は自分たちで和室の障子を貼り替えし、業者に各部屋の建具の塗装と壁紙の張り替えをしてもらった。

 この建具の塗装と壁紙の張り替え工事が大仕事であった。家具の移動の為あらゆる不要不急のものを捨てることにした。大量の書籍類、衣類、食器などを廃棄した。不要な家具も二つ三つ棄てた。その一つは男が使っていたセミダブルのベッドであった。大型粗大ごみは所定の料金を払って引き取りに来てもらうが、その場所まで運び出さねばならない。その作業を初め近所の親しい方に頼んで手伝って貰おうかと考えたが、結局男と女房が二人でおこなった。お陰で家の中が非常にすっきりした。後で「あれ、棄ててしまったのか、取っておけばよかったな」と思う物もあったが、棄てるときは気合を入れて一気に棄ててしまったので、後の祭りである。

 おかげで家の中は非常にすっきりした。それでも寄付しようとまとめてあるクリーニング済みの衣類の包みや、5円、10円の小銭の硬貨を入れた大きな袋が残っている。衣類は何処其処のNPOのショップに持って行こう、硬貨は数えるのが面倒なので袋ごと郵便局に持ってゆこうなどと考えているうちにもう年の暮になってしまった。週明けにでも処分のための行動をしようと考えている。毎日忙しくなかなか時間が取れないでいるが、期日を決めて時間を作り行動すれば片付くものである。

 人の命は明日も知れず、諸行無常である。いつ死んでもよいように常に心がけておくことが大切である。ちょっと遠くに外出するときは、万一事故に遭って死んでも恥ずかしくないように下着は新しいものに取り換えておく。家の中はきちんと整理しておく。これらのことは昔から男も女房も常々心がけてきていることである。玄関のカギはワンセットづつ二人の息子たちに予め渡してある。

 男が完了させておかなければならない重要なことは三つある。一つはわが家の遠い先祖のことから説き起こした家伝書を完成させること、二つは先祖の祭祀の仕方を自分の代で確立しておくこと、三つは女房の人生記をまとめることである。これらは5、6年先に女房と二人で別府辺りの有料老人ホームに入居したあとでも続けられる作業であるが、ここ数年、中断していたので何が何でも再開しなければならない。

 女房もそうであるが「死に支度」をするということは楽しいものである。それができる境遇にあるということは大変幸せなことである。世の中にはいろいろ問題を抱えそれどころではないという人たちが多いだろう。しかし、ものごとにこだわらなければ、また自分から進んで後で煩うようなことをしなければ、そして自分の周りから要らぬ物、急がぬ物を削いで削いで削ぎまくれば、大変気が楽になるものである。良寛さんは「欲なければ一切足り、求むるあれば万事窮す」と詠っている。まさにそのとおりだと思う。