2011年12月21日水曜日

国家観における原則(2011221)

 昨日に打って変わって難しい題名をつけた。昨日は多少羽目を外したが今日は大まじめで天下国家のことを論じようと思う。

 論じると言っても別に論文を書こうというのではない。折しも北朝鮮の金正日総書記が死んでテレビや新聞で識者があれこれ意見を述べている。老人は天下国家を動かす立場にある人間は識者の言うことにいちいち振り合わされない方が良いと思っている。彼のアメリカ初代大統領エイブラハム・リンカーンは聖書しか読んでいなかったというではないか。天下国家を動かすには余計な情報は要らぬと老人は思っている。

 老人はこれまで何年間かにわたりいろいろ思索してきた結果、天下国家を動かすには次の幾つかの原則をしっかりとわきまえておればよいと思っている。但しこれから思いつくままに書きならべることは、絵画でいえばまだデッサンの段階のものである。今後これをより完全なものへと仕上げて行かなければならないものである。なお、天下国家といってもあくまで日本国のことだけについて考えるものである。

国家の遺伝子には二つの種類がある。一つは国民の大勢が持っているDNAの集合体、もう一つは歴史・伝統・文化など独特な要素である。前者は生物学的な要素の集合の概念、後者は社会学的な要素の集合の概念である。前者を「国体内遺伝子」、後者を「国体外遺伝子」と、とりあえず仮称しておく。人間もDNA以外に生後の環境で身につける情報をもち、後者を「体外遺伝子」と名付けている学者もいる。人間の集合である国家も同様に考えるのである。

国体内遺伝子は外国からの流入者が増えると、日本人が本来持っている特殊な遺伝子が混血により薄められる。古代、天皇や貴族が近親婚も含めて血を大事にしていたが、それは良い子孫を残すための手段であっと言える。もし日本に大量の外国人の血が入ると本来日本人が持っている良い血は薄められてしまうだろう。日本人にはシナ人や朝鮮人にはない特殊なDNAがかなり大きなパーセンテージを占めている。

国体外遺伝子は常に補強しないと壊れてしまう。皇国史観の教育とか、教育勅語の復活は戦後壊れてしまっている国体外遺伝子の再生に非常に有効である。

万世一系の男系天皇の血統の維持は日本にとって非常に価値が高く、非常に重要なことである。女系天皇はもってのほかである。けっしてこれを許してはならない。

天皇と国旗と国歌は日本人にとって「自分たち日本人とは何者であるか」という自問に明快に答える「セルフ(自己)」そのものである。このセルフを失えば日本人は最早日本人ではなくなり、何処かの国の属州にすむ流浪の民のようになってしまうだろう。

人に性格があるように、国家にも性格というものがある。人の性格は変わらないが人の行動は快感が得られる方向、利益が得られる方向に動く。同様に国家の性格も変わることはないが、その行動は国際的利害関係で一時的に変わる。

日本と中国や韓国・北朝鮮のそれぞれの「国としての性格」は違っている。その違いには国同士仲良くなれない致命的なものがある。東アジア共同体のような同じ屋根の下では決して上手く行かず、日本は大きな不利益を被ること必定である。

国を動かすに「政道」と「商道」がある。両者は車の両輪のようなものである。但し、車の進行方向を決めるのは「政道」の輪の回転と「商道」の輪の停止で決まる。

「政道」の上述のような特性は「武」を背景にしないと発揮できない。「武」とは「武力」と「武士道」を総合した概念である。

「武士道」の構成要素に神道と仏教と江戸時代発達した日本独自の漢学の精神がある。

「政道」は歴史がその行く先を照らす。特に近現代史は大き灯である。

「商道」は経済・文化交流、相互理解の道である。

武力は抑止力でなければならぬ。日米同盟強化と核武装或いは核ボタンの日米共同管理によりその抑止力を強化しなければならない。

その他古今言われ、諺にもなっている次の事項を行う。

ア 遠交近攻・・アメリカ、台湾、東南アジア諸国、インドなどと交わりを深める。

イ 攻撃は最大の防御・・一朝有事の際は先制攻撃、その打撃力を保持する。

0 件のコメント: