2011年12月23日金曜日

メーリングリスト(20111223)

 男は13年前、ある「オンライン学級」というメーリングリストに参加していた。オフミーティングなどもあって、丁度これからインターネット時代に入ろうとする時期にネチケットなどいろいろ学んだことがあった。そのとき交換したメール情報などをある世話役の方がメディアに収録して配ってくれたことがあった。

 男は定年退職後「健康生きがいづくりアドバイザー」の通信講習を受け、最後に富士吉田のある施設で行われた二泊三日の集中合宿講義を受けてそのアドバイザーの認定証を貰った。認定証を貰うまで講習費だけで確か8万円払い込んだと思う。さらに認定証を三年間有効とするため3万円払ったと思う。その資格で何かしたかというと、実は何もしなかった。集いに二度ほど参加したことがあったが、現役時代の雰囲気をそのまま持ち込んだような人もいて、不愉快になったのでその後は会費も払っていない。

ただ、そのとき知り合った方々の中に非常に印象に残った方々が何人かいらっしゃる。講習卒業生の会を立ち上げることになって今でもその会の名称は生きており、会長も幹事もいる。男が率先して誰それを会長に、誰それを幹事にと推薦して決まった。その幹事の方とは今でもツイッターなどで連絡を取り合っている。彼は福島の人で原発事故の被害に遭い、会津で避難生活を余儀なくされている。

前置きが長くなったが、男はこの健康生きがいづくりアドバイザーの会で立ち上げているメーリングリストでも、メーリングリストがどんなものであるか、何に気を付けなければならないかなど、経験している。

このたび男は縁あって、男がかつて航空自衛隊に勤務していたころの同じ釜の飯を食った仲間が立ち上げているメーリングリストに誘われてこれに参加した。そのメーリングリストには男が50年ほど前出会った懐かしい方々が参加している。男の意識の中では、その方々の往時の姿が浮かんできて現在の様子は「自分同様齢相応に老けこんでいることだろう」というぐらいしか分からない。が、往時のことがいろいろ思い出されて、あのときの自分はああだったが、未熟であった当時の自分のことを今あの方々はどう思っていることだろうか、などと多少気にはなっている。

幹部候補生学校の同期であった往時の同僚とは年に一度の賀状で連絡を取り合っているほか、10年ぐらい前彼の郷里の京都で会ったり、女房同士がたまに電話で連絡を取り合ったりしている。その彼から直ぐ(男のメーリングリストの参加を)「待っていた」とメールが来た。男は女房にそのことを話した。「そう?それは良かったわね」と喜んでくれた。

ともあれ、男はインターネットを大いに楽しんでいる。昨日は勝ったばかりのスマートフォンで自分の吟詠のブログにアクセスし、自分の吟声を確かめた。天草の人から送られてきた大漁焼き煎餅を茶菓子にして熱い知覧茶を飲みながら、男は「あと45年もしたら別府の田舎の有料老人ホームに入ろう。あそこはタクシーで直ぐ街に出られるし、ホームの風呂だけではなく気楽に銭湯にもゆける。空気は綺麗だし、風景も良い。iPadとスマートフォンさえあれば、何処だって電波の届くところでインターネットができる」と話したら、女房は賛意を示しながら「子どもたちには迷惑をかけたくないわね」と言った。

男のある年長の友人はお子さんが居ないが、今年の4月急に奥様を亡くし未だに立ち上がれないでいる。奥様の物や想い出のあるものなどの整理に取り掛かっているが、家の中が散らかるばかりだ、近所のかたもあれこれ心配してくれるが、それがかえって重荷になっている」と言っていた。ちなみにその方はある企業の電気通信技術者として、奥様とご一緒に中東の国などに長く滞在して仕事をしていた方である。

男は上司だった方のお宅を訪れ、その方と何年かぶりに会った。その時その元上司は「家の財産は全部女房の名義にしたよ、もし女房が先に死んだときは自分は何でもやれるが、自分が先に死んだら女房はただおろおろするばかりで何も出来ないろうから」と言っていた。男はこの先輩の話を聞いて、早速家の財産は全部女房の名義にするよう手続きにとりかかろうと思っている。

メーリングリストには男と同年輩の方々が多数加入している。元気だった誰それが急に入院したとか、がんの手術で入院したが一応緩解で5年間再発しなければOKだとか、そんな話を共有している。男と女房は早い時期から「死に支度」をすすめているが、まだまだ大丈夫と思ってる人は多かろう。男はメーリングリストの仲間に「死に支度」の話をしようかと思う。縁起でもないかな?