2011年12月29日木曜日

『安岡正篤 易経講座』に学ぶ(2)(20111229)
 “人生の悟道、解脱の問題ばかりでなく、学問上に於いても仏教であろうと儒教であろうと、東洋の教学をやろうと思えばどうしてもこの易学をやらざるを得ない。新しいいろいろな研究家たちはこれを東洋文化に共通する民族的思考律とみている。もちろん後には陰陽五行(いんようごぎょう)という思想も入って来ます。この陰陽五行思想と易とは非常に結びついているのですが、易そのものは剛柔という考え方であります。”
 “孔子は「我に数年を加え五十にして以って易を学べば大過なかるべし」(述而第七)といい、特に晩年には易を学んで「韋編三たび絶つ」というほどに易に没入。彼の天命観に大きな影響を与えた。東洋に発達した人間学、政治学、兵学、医学、薬学、農学等の諸学の根底には等しく易の思想が流れているのである。”
 “先ず第一に易を学ぶ上で必要な心構えでありますが、それは小なる自我というものにとらわれず、活眼(かつがん)を開いて、この宇宙人生を通ずる大生命と申しますか、造化(ぞうか)の消息と申しますか、そういうものを達観(たっかん)する。つまり眼を大きく開いてこの大宇宙、造化のハタラキに心を傾けるという心構えが必要であります。
 これを解り易い用語で申せば天であります。我々は先ずこの偉大な天とうものに眼を向けなければならない。自己の運命をはやく知りたいとか当てたいとかいうような、そんな小さいことを考えてはいけない。
 しからば天とは何ぞやということになりますが、お話すれば天論だけでいくらでもやれるわけで、したがって、そういうことも、話を追ってごく掻摘(かいつ)まんでやるほかありません。まあ要するに現代の学問もこれを古代からの伝統的学問の基本用語で申せば、今日も変わらず天を研究しているといえるわけであります。
 天はこれを基本用語でいえば、マクロコミックの世界からミクロコミックの世界に至るまで無辺であります。今日、問題の理論物理学、電子の世界、素粒子の世界といったような世界はミクロコミックの研究をしているのであります。”
 老人は別のブログで「仏教と現代の自然観との連関」と題して「あの世」と「この世」の関連を探究している。若いころ『コスモスとアンチコスモス』(井筒俊彦著、岩波書店)を購入して走り読みしただけで書棚に入れたままになっている。聖武天皇は華厳の世界に魅了され東大寺大仏を建立された。東大寺を訪れたとき売られていた本も幾冊か所持しているが走り読みしただけである。この齢になってようやくそれらの本も良く読でみたいと思うようになった。
 人生とは不思議なものである。10歳だった老人に、33歳の死の間際まで人生の生き方を身をもって教えてくれた生母の実妹から電話があり、お見舞いを贈ろうと女房と横浜に出て、贈り物の送達手続きをすませた後、病院での診察待ちの間読もうと思って本を探しに書店に入り買った本がこの本である。老人は左大腿に異常を感じているので病院に行っておこう思っていた。「あの世」から生母がこの本を示してくれたのだと思う。  (続く)