2011年1月8日土曜日

外交と防衛(終り)(20110108)


菅総理は‘本免許’を得てから、「志」を明確にし、西郷南洲のごとく「自ら安きを謀ろうとせず」この日本の為、身を捧げようとしているように見える。片や、鳩山前総理は相変わらず「友愛」を口にし、「民主党の団結の為大きな度量が必要」と言い、小沢氏にエールを送っている。それは自分の政治的立場を守ろうとする「私利私欲」であるように、老人には見える。その小沢氏は先のAPECで「中国の胡錦濤国家主席の招きに応じて胡主席と会った」と、自らインターネット番組で発言したことを、勘違いだったと訂正した。老人は昨年2月25日のこのブログ(タイトル『国の為、内閣を改造せよ』)で「馬鹿げた情報である」と書いたが、そのとおりだった。

年末年始の期間『外交と防衛』と題して、『大東亜解放戦争』(岩間 弘著、創栄出版)に書かれていることを引用し、参考にしながらある種の思考過程としてこの記事を書いてきた。辿りついた結論は、日本国家として、日本の外交・防衛のリーダーになる人たちを養成する国家機関が必要である、ということである。リーダーになる人たちは国の外交と防衛について、外務省の‘何とかスクール’出の官僚や、外部の識者などに頼って政治を行うのではなく、自らの「志」で政治を行うことができるような資質を有していなければならないと老人は思う。何故なら、国家の意思や戦略は始終一貫したものでなければならないからである。

    その基本は、日本はアメリカや西欧諸国と価値観を共有し、またインドやベトナム、東南アジア諸国と緊密な友好関係を築き、それを維持することである。そして韓国とは歴史認識を共有できるよう、粘り強く努力することである。その上で中国、ロシア、北朝鮮とおつきあいをする。これを人間関係で言えば、親友、友達、客という関係である。日本にとってアメリカや西欧諸国は「親友」、韓国、インド、ベトナム、東南アジアは「友達」、中国やロシアや北朝鮮は「客」である。「客」が将来「友達」になり、「友達」が「親友」になることは望ましいが、そのよう関係になる時はずっと先のことであろう。21世紀中は無理かもしれない。日本人はそのように割り切って考えるべきである。


   日本のリーダーたちが、国の為命を捧げた人々の御霊が祀られている靖国神社に公式参拝することに、何の躊躇も要らない。国会で東京裁判は誤っていたと議決すればよいのだ。


  最後に前掲の本の記事のごく一部を引用してこのタイトルの記事の投稿を終える。

 東京裁判の前提となる「張作霖爆殺は一般的には日本軍が実行したとされているが、ソ連情報機関の資料から最近明らかになったところによると、実際にはスターリンの命令にもとづいて・・(中略)・・日本軍の仕業に見せかけたものだという・・(中略)・・コミンテルンのソヴィエト共産党は、相手を貶めるためには全くのウソを平気で言い、しかも真実の如く宣伝するのは彼らの常套手段である。・・(中略)・・中国が言う盧溝橋事件の最初の一発は日本軍よりの一発であるとは全くのウソであり、それは中国共産党の教本にも誇らしく書かれている如く、毛沢東の命令で劉少奇の指揮によって撃ったものであった。また南京大虐殺も後から作った謀略デマであるのに、日本も世界もすっかり騙されていたのである。・・(後略)・・」。  日本人よ、眼を醒ませ! (終り)