2011年1月28日金曜日

武士道(続)(20110128)

この日本列島に初め縄文人と呼ばれる人々が、北方、西方、南方から渡ってきた。その後渡来系弥生人が朝鮮半島を通じて渡ってきて縄文人と共生し、混血し、今の我々日本人になった。西方の文化伝搬の終着点、シルクロードの終着点がこの日本である。日本列島はいろいろなルーツを持つ人々がやって来た終着地である。文化・文明の伝搬の終着地でもある。終着地であるゆえに、われわれ日本人は混血を重ね、遺伝学的に優れたものを受け継いで後世に伝えてきた。万世一系の天皇は日本人の中心である。

先の大戦で、アメリカ陸軍日系人部隊、第442連隊の兵士たちはヨーロッパ戦線において、武士道の精神で戦った。今日アメリカの日系人たちがアメリカ社会で名誉ある地位を勝ち得ているのは、その兵士たちの尊い犠牲のお陰である。遠くブラジルの大地に渡った人たちも武士道の精神で新天地を開拓し、成功し、ブラジルで今日の名誉ある地位を勝ち得ている。先のワールドカップで田中マルクス闘莉王選手は、仲間の選手たちに「大和魂で戦おう」と呼びかけた。大和魂は武士道の重要な精神の一つである。

 新渡戸稲造は、「武士道は‘騎士道の規律’である。字義どおりには武・士・道である。戦士たる高貴な人の、本来の職分のみならず、日常生活における規範をもそれは意味している。武士道は一言でいえば、‘武士階級の‘高い身分に伴う義務’である」と言っている。

 新渡戸稲造は、武士道が日本独特なものであることを、仏教と神道の面、および中国の孔子の教えの面から説明している。

仏教については、遣唐使たちが中国で学び日本に持ち帰った仏教、中国の僧が来日して日本で広めた仏教は、中国や朝鮮では衰退したが日本においては大きく発展した。日本で発展した仏教は、日本仏教伝道協会などの活動を通じて世界中に広められつつある。

 神道は日本古来のものである。天皇家の祖先が祀られている伊勢神宮がその中心である。

一方、中国古代の孔子の教え・論語は武士階級の子弟が学ぶ藩校などで教えられていた。その「四書五経」といわれる漢籍書物の読み下し、つまり漢文を訓読し、日本語の語順で読み下すこと、そしてその朗読という形で教えられていた。神道、仏教、中国の四書五経が武士の教養の根源であったことは間違いない。

 日本の青少年が、今改めて、昔の武家の子弟が学んだことを大雑把でも良いから学んでみる、それも神道の祝詞、仏教の経典、四書五経の漢籍書物の読み下しを朗読という形式で学ぶと、きっとよい効果が現れるのではないかとは思う。そうすれば、それを指導する側も、指導される側も、それぞれ各自の中に、なにかすがすがしい力が湧いてくるのではないだろうか。以下は、論語の最初の一節である。

 子日、學而時習之、不亦説乎。有朋自遠方來、不亦樂乎。
 子曰く學びて時に之を習う、亦説ばしからずや。朋遠方より來る有り、亦楽しからずや。
  (しのたまわくまなびてときにこれをならう、またよろこばしからずや。ともえんぽうよりきたるあり、またたのしからずや。)

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