2011年1月2日日曜日

外交と防衛(続き)(20110102)


    明治維新前、欧米・ロシア列強諸国は先を争ってアジアを侵略し、植民地化しており、座視していれば日本も白人たちの国々の餌食になりかねない状況であった。日本は国の政治の権限を天皇陛下に奉還し、非常に短い期間でそれら列強に伍する力を付け、逆に植民地化を阻止し、解放する戦いに挑んだ。そしてその戦いには非常に多くの犠牲者を出して1945年8月15日、最終的に降参した。降参したが、「アジアの国々の植民地化の阻止、植民地からの解放」の目的は達成した。

    1919年2月、国際連盟規約委員会において大日本帝国全権大使・牧野伸顕氏は国際連盟の規約に人種的差別撤廃の条項を入れるように提案した。国際会議において人種的差別を明確に主張したのは日本が初めてであった。しかし、この提案は多くの植民地を有するイギリスや白豪主義をとるオーストラリアなどから猛反対された。紆余曲折を経たのち修正案は16票中11票の賛成があり、日本の提案は採択される寸前まできた。しかし、議長国アメリカが「全会一致すべきせる」と主張して結局日本の提案は実現しなかった。

    そのような歴史的事実が示すように日本はアジアの国々が国際社会において平等に扱われるよう努力し、結局310万人の戦死・戦没者を出してアメリカとの戦争には敗れ、アメリカを中心とし、中国やロシアなども参加した「戦勝国」に降参した。しかし戦争の目的は達成した。その目的とは「アジア諸国を植民地から解放する」という目的であった。

     しかし東京裁判において、日本は「侵略国家」という「烙印」を押され、日本人は委縮してしまった。陰謀や不法な侵略により東京裁判で日本を「侵略国家」にすることに成功した中国やロシアは、その時点を出発点として太平洋の防波堤のような日本を弱体化し、太平洋をアメリカの海から、中国やロシアの海にしようとする意思を実行する遠大な行動を開始した。ロシアは不法に日本の北方領土を占拠し、実効支配し、決して手放そうとはしない。中国は隙あれば太平洋に進出しようと実行動に出始めた。韓国さえも我が国固有の領土である竹島をしっかり押さえ、対馬をも支配しようと考えている。

    日本は植民地を解放したという目的を達成したが、日本国民はそれが「侵略」であったと「思い込まされ」た。それは日本をずっと将来に渡ってアメリカの傘下に置いておこうというアメリカの戦略的意思を実行する戦術でもあったと老人は思う。吉田元首相は日本が戦争に負けたことが必ずしも悪いことばかりではなかったと言ったと言う。アメリカに降参した結果、今日の日本がある。

    日本一国の力では中国やロシアや「朝鮮」には対抗できない。例え日本が核兵器を持ったとしてもアメリカとの連帯なしには、大陸からの圧力に日本は抗し得ないだろう。日本は未来永劫アメリカや西欧という日本と価値観を共有し得る。しかし、中国やロシアや「朝鮮」とは今後何世紀経っても価値観の共有はできないであろう。勿論、これらの国々との間の貿易は盛んになり、一衣帯水状況は深化するだろう。人民同士のレベルでは友好関係は一層深まるだろう。しかし、性格の合わない人同士は親友にはなれないように、日本はこれらの国々とは親友になれない。そのことを日本国民は自覚すべきである。「友好の海」はあるだろうが、決して「友愛の海」は有り得ないのだ。