2011年1月29日土曜日

武士道(続)(20110129)

 新渡戸稲造は「第二章武士道の源をさぐる」でこう言っている。

 「まず仏教からはじめよう。仏教は武士道に、運命に対する安らかな信頼の感覚、不可避なものへの静かな服従、危険や災難を目前にしたときの禁欲的な平静さ、生への侮蔑、死への親近感などをもたらした。

 ある一流の剣術の師匠・柳生宗矩は、一人の弟子が自分の技の極意を習い覚えてしまったと見るや、‘私の指南はこれまで。あとは禅の教えに譲らねばならぬ’と言った。禅とはジャーナDhyānaを日本語に音訳したものである。

 禅は‘沈思黙考により、言語表現の範囲を超えた思考の領域へ到達しようとする人間の探究心を意味する’のだ。その方法は黙想であり、私が理解している限りにおいて、そのめざすところは森羅万象の背後に横たわっている原理であり、できうれば‘絶対’そのものを悟り、そしてこの‘絶対’と、己自身を調和させることである。」

 私は、人は大宇宙の原理について学問的な理解が深まれば、人はこの大宇宙を一つの生命体と考えるようになり、大宇宙の生命的活動に逆らうことなく、大宇宙と一個の人間である己とを合わせて一つに為し、己が前世から来世に至る一筋の光の中にあるような感覚になれるのではないかと思っている。

 分子生物学は、人やあらゆる動植物が同根であることを明らかにした。現代物理学は、この宇宙が「無」の一点から生じたことを明らかにした。人工衛星で打ち上げ、宇宙に置かれたハッブル望遠鏡は、その一点から生じて5億年経った132億年前の星雲を発見した。

 考古学や遺伝学は、現在の人類がアフリカの大地で誕生し、12万年前に現在の中東地域を経て比較的短い期間に地球全体の各地に拡散していったことを明らかにした。

 私は、人がこのような科学の成果を学び、大自然と自己が合一の観念を持つようになれば、そしてそれに加えて仏教の教学について知識を深めるならば、人は今、自分が生きているこの時を、どのように過ごすべきであるかということに思考が及ぶようになるに違いないと思っている。

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