2011年1月10日月曜日

人生とは(20110110)

 男は孫娘と孫息子に本当に久しぶり、特に孫息子には1年半ぶりに会うことができた。二男とその嫁は、男と女房は老母の介護のため盆休みと正月休みの間九州の田舎に帰っているので孫たちに会うことが少ないことを悩んでいた。そこで二男は今回は特に貸料が一日28000円もする大型のキャンピングカーを借りて、家族で大阪から九州の田舎までゆっくり旅を楽しみながらやってくることにしていた。このキャンピングカーは車内の設備がそれなりに良くできている。暖房用の電力は別のエンジンを回し、そこから供給されるように作られている。だから大雪になってもエンジンが回っているかぎり車内は暖かい。

ところがこの大雪である。結局予報で小康状態になるスポットを狙って元日10時過ぎに大阪に向かって出発しなければならなかった。出発はしたものの、小倉の手前でキャンピングカー内で一泊しなければならないような状況であった。それでも二男一家4人プラス犬1匹なんとか下関まで辿りつくことができて、そこで一泊した。翌日、呉で戦艦大和ミュージアムや呉に停泊中の潜水艦など見て尾道で一泊し、ようやく自分の家に帰り着いた。道中、孫娘や嫁が通信係となって携帯電話やメールで道中の状況を連絡して来た。

二男も投宿先のキャンピングカー内から無線LANで老人宛てにメールを送ってきた。男が若かった頃、マイカーの助手席の前に短波帯10ワットのアマチュア無線機を装着し、小学4年生だった二男を助手席に乗せて、連れて野外でアマチュア無線を楽しんだことがあった。二男はその時のことを思い出しメールにそのことを書いて来た。親が子供にしたことを、子供がまたその子供にして見せる。松尾芭蕉ではないが「人生とは子が親になり、またその子が親になることである」と、男は二男の結婚式のときその趣旨のスピーチをしたことを思い出した。あれからすでに15年経つ。人生は長いようで短い。

大晦日に男も手伝って庭先でちょっと大きめの雪だるまを二つ作った。今年春4歳になる孫息子は雪だるまの顔に石ころで目と鼻と口を作り大喜びであった。居間で孫息子は男の背中によじ登り、男の首に馬乗りになった。男が孫息子の足首を握ると孫息子は仰向けになって畳の上に両手をつき、多少難しい動作ができたことを喜び何度も何度も同じことをしたがった。その様子を二男は写真に収めた。

撮った写真は安物のプリンターで印刷して渡してあったがPicasa3でウエブアルバムに入れ、二男にメールでそのURLを知らせた。二男はキャンピングカー内でそのアルバムを見ることができた。孫娘も孫息子も将来いい齢になった頃、そのころ男は既にこの世に居ないだろうが、ウエブアルバムで自分の子供時代のことを良く知ることになるだろう。

男と女房には女の子供がいないこともあって、嫁たちを実の娘のように思っている。特に老人は嫁たちを愛しく思っている。だから息子たちに対するのと同様、嫁たちの名前は最初から敬称略の呼び捨てである。そうして年月が経ち、成長とともに絆が一層深まり、一つの家族になった。その陰には老妻の人柄、賢さが大いに影響している。勿論嫁たちもとても人柄が良い。それぞれ二人の出会いは偶然的であるが、実は眼に見えないところでお互い引き合うものがあったから一緒になったのである。それは必然的であったのである。それまで二人の息子たちは、それぞれ何人かわが家に交際相手の女性を連れて来ていた。