2011年1月20日木曜日

正法眼蔵(20110120)

 男は、岩波文庫の本であるが20年ほど前に『正法眼蔵』を購入していて、殆ど目を通さぬまま書棚に収めたままにしていた。それを今晩(19日)取り出して読み始めた。この齢になってようやくその本を本気で読んでみようという気になった。遅いと言えば遅い。しかし、世の中にはそのような本には目もくれぬ人々が非常に多いことであろう。だから、この齢になってやっとそのような本に目覚めたとしても、まあ許されよう。

 本の表紙に『正法眼蔵』は「道元(12001253年)の主著で、和文を主にし、時に漢文を交えて自己の宗教体験を述べ、坐禅によって到達する正法の悟りをあらゆる方面から説いた」とある。坐禅しなければ、決して悟りは得られないのだろう。男はまだまだ色気がたっぷりあり、坐禅などはしたくないと思っている。おそらく死ぬまで坐禅に浸りきることはないだろうと思う。

 しかし、夢窓疎石(国師)は『修学』と題する詩で「一日の学問 千載の宝 百年の富貴 一朝の塵 一書の恩徳 万玉に勝る 一言の教訓 重きこと千金」と詠っておられる。昨日、鎌倉の瑞泉寺を訪れたが、本堂の裏の庭は夢窓国師が造ったものであるという。それは昭和45年、遺跡の発掘により復元されている。

 瑞泉寺はウィキペディアによれば「鎌倉幕府の重臣であった二階堂道蘊が嘉暦2年(1327年)、夢窓疎石を開山として創建した寺で、当初は瑞泉院と号した。足利尊氏の四男で、初代鎌倉公方の足利基氏は夢窓疎石に帰依して当寺を中興し、寺号を瑞泉寺と改めた」とある。その夢窓疎石は一書である『正法眼蔵』を読んで、その時には既にこの世にはいない道元禅師に帰依したに違いない。

 男はもうこの齢になって仏教の修行をしようとは思わないが、せめて道元が著した本(一書)を読み、いずれ訪れる自分の最期の日まで読み続けようと思う。「道元→夢窓国師→自分」という思想的流れを感じたいと思う。自分がそのように感じながら何れの日かあの世にゆけるならば、本当に幸せなことであるに違いない。

 瑞泉寺の梅はその枝頭に十分春の気配が漲っていた。宋代の詩人・戴益(たいえき)が「尽日春を尋ねても春は見えないが、春は枝頭にあって既に十分である」と詠っているとおり、幸せは目の前に、最も身近なところにあるものである。古の人が行ったような学問をしなければ、真の幸せに気づくことはできないのである。
 
 その『正法眼蔵』で道元禅師は「辦道話(べんどうわ)」と題して「諸仏如来、ともに妙法を単伝して、阿耨菩提(あのくぼだい)を証するに、最上無為(むい)の妙術あり。これたゞ、ほとけ仏にさづけてよこしまなることなきは、すなわち自受用三昧(じじゅようざんまい)、その標準なり。この三昧を遊化(ゆけ)するに、端坐参禅を正門(しょうもん)とせり。」と、最初から坐禅以外に悟りの道はない、と説いておられる。

 男は今のところその気は全くないが、これからの余生のある時期に、なにかきっかけがあれば一定期間坐禅修行・修学の体験をしてみようとは思っている。