2011年1月26日水曜日

武士道(20110126)

 新渡戸稲造(文久288日(186291日)-昭和8年(1933年)1015日)の『武士道』(三笠書房「知的生き方文庫」、奈良本辰也訳・解説)を読む。私は4、5年前この本を買って書棚にしまい込んだままにしていた。本というものは買いたいとき買っておくと、後に読みたくなったとき読むと一層楽しく読めるものである。重要なことは、買った本を書架の中でカテゴリー別に分けて保管しておくことである。今後暫く、この本に書かれていることを引用しながら、このブログの記事を書くことにする。

 新渡戸稲造は、「第一版への序文」の中で「私が幼いころ学んだ人の倫(みち)たる教訓は学校で受けたものではなかった」「私に善悪の観念をつくりださせたさまざまな要素を分析してみると、そのような観念を吹き込んだものは武士道であった」と書いている。

 当時欧米では、今でも欧米ではそのような学校が多いと思うが、学校ではキリスト教の教えに関する教育が行われていた。宗教教育である。日本では宗教系の私立学校以外、そのような教育は行われていない。日本では武士道の精神が人の倫(みち)の基本にあった。しかし戦後の日本では武士道の精神は完全に失われてしまっている。

 日本には武士道というものがあった。武士道とは何か、なぜそれが失われてしまったのか、武士道の精神を取り戻さなければならないのではないか、などということについて、今後暫く私の考え方を書き続けてゆこうと思う。

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