2011年1月22日土曜日

‘凛’として在ること(20110122)

 昨日の記事の続きであるが、人はいくら齢をとって落葉の枯れ木のようになっても、‘凛’としてそこに在ることはできる。要は日ごろの心掛けと、鍛練次第である。たとえば道を歩くとき、背筋を伸ばし、顎を引き、しゃんとした姿勢で、ごく自然な形で、しかも行進曲に合わせて歩いているように歩くならば、その姿は‘凛’として見える。特に冬の寒い外気の中でもそのように歩くならば、その姿は‘凛’として見える。

 男の足腰はまだしっかりしていて、片足立ちで立っている方の膝を曲げることや、一方の足を前に差し出して伸ばしたまま、長く片足立ちができる。大腰筋が弱いとそのような運動はできない。出来てもすぐ崩れてしまうだろう。

 男の中学時代の同級生である女性は、最近転倒して胸椎を痛めてしまって、ご主人の介護のこともあって大変苦労したということである。若い時はつまずいても転ばず、姿勢を保つことができるが、大腰筋が弱ってくると先ず足が高く上がらず、ちょっとしたことで躓いて転んでしまうものである。

 従い‘凛’とするには常日ごろの心掛けと鍛錬が重要なのである。日ごろの心掛けとしてはただ単に自分の肉体的な要素についてのみ心がけるのではなく、特に精神的な要素について十分すぎるぐらい十分心がける必要がある。つまり自分の精神を高めるような修行が必要である。民放のテレビの娯楽番組ばかり見ているようでは駄目である。しかし、一般の人々はそのような修行には縁遠い。

 昔の武士は腰に刀を差し、常に学問をし、礼儀作法を心得、‘凛’としていた。皆が皆、武士はそうであったわけではないが、商人や百姓のように腰を曲げ、上にへつらうような態度は見せなかった。いつでも死ぬ覚悟があった。

 男の生母は33歳の時乳がんで他界した。今際の時、当時9歳であった男に自らの身をもって‘凛’として在る姿を示した。「お兄ちゃん起こしておくれ」「東に向けておくれ」「仏壇からお線香をとってきておくれ」「お父さんをよんできておくれ」といい、線香に火を付け、東方、多分宮城に向かって両手を合わせた。当時9歳であった男が急いで裏山に走り、松葉かきに行っていた父を呼んできたとき、母は既にこと切れていた。

 そのときのことを思い出しながら、歩いて15分ぐらいのところにある大型複合商業施設の書店に行った。買い求めたのは三省堂の『全訳漢字海』という辞書と、Newtonの『宇宙はどうやって誕生したか』というグラフィック科学雑誌である。『全訳漢字海』は日本語力が乏しいと自覚しているため、何か良いものはないか探していて目にとまったものである。科学雑誌の方は、「あの世」のことに関する哲学的思索の参考にするため買った。

 ちょっと寒気を感じながら‘凛’として歩き、昼前家に帰り着いた。するとすぐ田舎に住んでいる竹馬の友の一人から電話があった。「うちの奥さんが死んだ」という。男は一瞬「えっ」と絶句した。葬儀は家族だけで済ませたという。17日に竹馬の友同士で山登りをした。その時、もう一人の友が「奥さんも一緒にゆきませんか」と誘ったという。そのとき奥さんは元気な様子だったという。翌日自宅の廊下で倒れていたという。田舎の同級生たちも在京の同級生たちも皆驚いている。在京組は香典をまとめて送ることにした。