2011年8月22日月曜日

体内遺伝子と体外遺伝子(続き)(20110822)

 明治天皇が詠まれたように「四方海皆同胞」である。「同胞」とは同じ母から生まれたということである。ミトコンドリア遺伝子でわかることは、日本人共通の母親が何人で何処辺りに住んでいた人かということである。その共通の母親の人数は16人であるという。勿論それぞれの母親が生きていた時期は同じではない。

 単純計算で、ここに男女一組から二人の子供が生まれ、その子供がまたそれぞれ二人づつ子供を得るとし、子供ができるまでの年数を25年とすると、もし仮に1000年経つと子孫は何人になるだろうか。それは240乗、つまり1兆人となる。このことは、我々日本人の血にはいろんな人々の集団、つまり縄文人や渡来系弥生人だけではなく、中国人・蒙古人・朝鮮人の血も少し混じり合っているということを意味する。

 ただ一つ言えることは、日本人には日本以外では世界に存在していなかった縄文人の血や、長江流域で稲作文化を開花させた人々の血が混じっているということである。さらに、男だけにあるY染色体遺伝子のDというタイプを持つ人は、日本人の半数から3分の1程度を占めているが、驚くべきことに日本以外ではチベットに人口の半分ぐらい占めているだけで、その他の東アジア・東南アジア・中央アジアにはわずかしか存在していないということである。(参考図書:『天皇の遺伝子』蔵 琢也 著、廣済堂出版)

 市は図書を参考にしながら、一部想像も交えて書くが、Y染色体のタイプDという遺伝子を持つ男たちは、アフリカを出発した現人類の初期の段階でアフリカに残った人々と枝別れしている。この遺伝子タイプDの男たちが率いる種族が長江流域で漁労・畑作をしているとき、北方からやって来た寒冷地に適応した狩猟・牧畜の種族と接触し、世界最古の文明・長江文明を開化させ、稲作技術を発展させた。その後、北方からやってきた別の種族・漢族と接触し、殺戮され、文明を破壊されたりしため山間部などに逃れたり、長江河口付近から北上し中国東北部から朝鮮半島を経て北九州にやって来た。彼らは稲作技術を持っていた。北上しなかったグループは長江河口から海を渡って沖縄を経て南九州にやって来た。鹿児島の笠沙にやってきたこの種族は漁労・造船・航海の技術に長けていた。彼らは裏日本の海岸にも行き、島根の出雲・淀江などや、表日本の各地の海岸に展開した。(参考図書:『古代日本のルーツ 長江文明の謎』安田喜憲著 青春出版社)

 日本人のY染色体遺伝子とミトコンドリア遺伝子の特徴は、日本人と中国・韓国・北朝鮮人とは明らかに異なっている。特にミトコンドリアM7a遺伝子は日本人だけが有しており、その人口比率は地域差があり、およそ5%から25%ほどである。国際結婚等でほんの僅か散らばったかも知れないが日本人特有である。Y染色体のタイプD遺伝子は、日本以外ではチベット人が有している。これはほんの僅かの中国人も有している。おそらく中国人のそれは、男がチベット族との混血か、あるいは長江流域から逃れた人々の一部だろう。

 日本人はそのように体内遺伝子としても特殊であるが、体外遺伝子(=仏教・武士道・茶道・古典文芸・古典芸能・わびさび等の精神文化など)としても特殊である。(続く)