2011年8月15日月曜日

福島第一原発事故を考える(続き) (20110815)

 利己心は「自存」力から生じる。特攻など自己犠牲が美徳とされた時代から、戦後は自分を大切にすることを美徳とする時代に変わった。自己犠牲を名誉に思う「武士道」精神は否定され、人々は私利私欲の行動に対して一応非難はするが、我身を顧みてそのような行動に対して寛容になったように思う。

  “「米国が考えている対処法はただ一つ。軍隊による原発の封鎖です」”これは前掲唐川伸幸氏(FEMA外郭団体IAEM『国際危機管理者協会危機管理官』)の言葉にある。

  “DARTは三沢だけでなく、横田基地にも配備されている。米政府は日本の首相官邸に「要請があれば、いつでも支援する」と伝えている。ところが首相官邸からは一向に具体的な要請がなかったのだ。唐川氏が続ける。「DARTの七十人は原子力災害に対応する訓練と教育を受けています。万が一のために家族への手厚い補償も約束されている。彼らは要請がなかったため出動できず、水素爆発を防ぐことができなかった。

  次にできることは、現場に突入して、内部の被害状況を調査し、米国で待機している第二陣とともに作業を立てることです。

  放射性物質流出を防ぐ手法はいろいろあります。ヘリコプターを使って、上から天井付きのフレームを降ろし、コンクリートで外壁をつくる。あるいはコンクリートや鉛を投下する。温室のようにコンクリートのシールドで原発をすっぽり包み、その後にトンネルを掘って内部処理をする。外部電力、クーリング装置をはじめ、そうした設備が一式あり、作業もすぐにできます」”

  “菅首相は、その電話で(佐賀大学元学長で五号機の腹水器の設計者)上原氏に次から次へと疑問を投げかけたのだという。菅首相は『きちっとしたことがわからないと判断できない』と言い訳したようですが、この切迫した状況下、総理は大局的な判断をすることが大事で、技術的な細かい点は、専門家に任せればいい。一体何をやっているんだ、と周囲も首を傾げていました」(別の首相官邸関係者)”

  『きちっとしたことがわからないと判断できない』という気持ちは、菅首相の「自存」力から出た言葉である。「自分が最も大切」なのであって、国家や国民のことを考えてはいないように、外からは感じられる。「最後に俺が責任を負う、あらんかぎりの智慧を集め、精一杯のことをやってくれ、人材・資金等精一杯応援はする、細かいことはいいから適宜要点や俺への要求を話してくれ、頼んだぞ」と言われれば、部下は命を懸けて頑張るだろう。それを、「俺が原子力の専門家だ、俺が理解できないことはやってもらっては困る」と言われれば、誰も自分の「自存」のため自ら命を懸けてまで働こうとは思わないだろう。

  昔人民は「宰相」を選挙で選ぶことは出来なかった。今の日本は「宰相」になった人を「官邸」から追い出す制度はない。「不信任決議」が為されても本人が居座る気であれば、国がどんなに不利益をこうむっても「解任」できない。それは国の「自存」を危うくする。