2011年8月16日火曜日

福島第一原発事故を考える(続き) (20110816)

  731日の日曜討論を聞いていて思った。福島第一原発の放射能汚染事故発生の原因は幾層にもある。その最下層の一つ上に勿論未曾有の大津波による電源の喪失、給電配線・原子炉等燃料冷却システムの破損等がある。最下層は、この未曾有の事態も想定した原発設計思想の欠落がある。このことは事故調査・検証委員会で当然考えているだろう。

  最下層から三段上の層に、原発と言うモンスターのようなシステムを制御する上での関係者の気の緩みがある。定期点検を怠ったり、不具合を放置したり、「ま、大丈夫だろう」という慢心があったり、過去の世界原発事故の対処から真摯に学ぶという態度の欠如があったり、菅首相自ら原子炉事故対処訓練を軽視していたりで、総じて「危機管理」に対する国を挙げた取り組みに欠けていたことがある。故に、この事故は人災である。

   その上の層に、特に戦後初期生まれの世代に属する菅首相はじめ日本の多くの指導層の国家意識の欠如がある。年寄りたちは「戦前の日本は悪いことをした」「日本は侵略国家であった」という間違った観念を植え付けられていて、無意識的にその観念に基づき物事を判断していることに自ら気づいていない。そのためたとえば菅首相は「市民活動団体」を名乗る反日的団体に6250万円もの寄付をしたり、在日外国人から寄付を受けたりし、国旗国歌法案に反対し、国会で「国歌はもっと別なものが良い」と堂々発言したりする。

   私自身直接耳にするが、そのような世代の人たちの中には、今回の大震災で意識を変えたかもしれないが、「自衛隊が嫌いだった」と言う人が多いようである。そういう感覚であるから、「百年兵を養うはただ一日の戦に備えるため」という考えはないし、「軍事は外交の手段」ということを理解できないし、まして「軍は国の背骨である」という認識はない。甚だしいことは、「軍は常に有事に備え、平素から与えられた資源を使い可能な限りの準備をしているものだ」ということを全く理解していない。スリーマイル島原発事故のとき、時の大統領ジミー・カーターが執ったような措置を、菅首相は執ることができなかった。

   菅首相は原発事故対処について在日米軍が核爆発に備えた能力を持っていたことを知らなかったから、福島原発原子炉メルトダウンやガス爆発が起きる危険が迫っていた時、在日米軍の能力を利用する発想をもつことが全くできなかった。しかし、これは菅首相だけを責めるべきことではない。彼のリーダーとしての資質のことは別にして、国民多くの意識が「武」を忌み嫌うものであった(または‘ある’)から仕方がないことである。

  そういう状況である中、東日本を中心に日本の大部分に放射能汚染の危険が迫ろうとしたとき、自衛隊はその現場に居た。原子炉冷却のため真っ先に行動したのは自衛隊であった。しかも全国各地から駆けつけた各飛行基地の消防小隊の隊員たちが身の危険も顧みず放射線量が非常に高く危険な現場で放水活動をした。14日午前11時路、3号機爆発より原子炉への給水活動をしようとしていた自衛隊員と東電社員が負傷した。現場で作業していた自衛隊員たちは主に下士官・兵たちで、自ら志願し駆けつけた人たちであった。前掲『東京電力の大罪』に作家・麻生 氏が寄せている感動的な記事中に、この部分がある。