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男はヤマダ電機という大型家電量販店には、実は宛名ラベルの印刷用紙を買いに行ったのであるが、この店に来る度に立ち寄っていたスマートフォンのコーナーにまた立ち寄ってしまった。男のこころの片隅に今流行りのスマートフォンとやらを手にいれたいという願望があった。
お昼前というのにここに来る前、おやつに女房が作ってくれた田舎から昨日送られてきた杵つき餅入りのお汁粉を頂いていたので、はらは空かない。女房は女房で自分が何年もかけて撮った花の写真のカレンダーをあちこち送ったり、田舎から送られて来た餅などを息子たちのおすそ分けして送ってやる準備をしたりで忙しくしている。かねがね女房は男に「お父さんもスマートフォンを買ったら」と勧めてくれていたこともあったので、「よし、買おうか」という気になって、展示してある沢山ある機種の中からauの機種を手にし、自分のブログやフェイスブックをパスワードを入力してページを開いてみた。詩吟の吟詠もちゃんと自分の吟詠の音声が聞こえてくる。男と女房はauを好んでいる。
別の客に応対していた売り子の女性に「後でこちらに来て下さい」と言って、プライバシーを守るため手にしていた機種の開いたページの履歴を消すためあれこれタッチしたりしているうちに、件の売り子の女性が来た。シャープやソニーの機種を調べ、ソニー製のものに決めていた。しかしシャープの方が月間経費も安いのでそれに変えようと思い、展示棚に戻った。そこで目についたのが今日買ってしまった富士通のARROWS Z 1SW11Fという最新の機種である。女房はかねがねどうせ買うならばそのときの一番良いものを買うようにと老人に口酸っぱく言ってきて、これまでそうしてきて、コンピュータや携帯電話にはかなりの金をつぎ込んできた。
この機種は女房が持っているiPadを外に持ち歩くとき非常に便利である。というのは、この機種だとBluetoothという無線機能がついていて、このスマートフォンさえあればiPad用の無線装置を持ち歩かなくても良いということである。「ことである」というのは、男はまだこの機種のことを良く知らず、売り子の言っていることをそのまま受けているだけであるからである。しかしこの機種は実に良さそうだ。
男と女房は暮には田舎の家に帰り、10日間近く其処に滞在する。田舎の家は幹線道路からちょっと引っ込んだところにあり、幹線道路沿いに引かれているADSLの恩恵を受けていて、中継局も近いため100Mbpsという高速ブロードバンドのインターネットができるようにしている。パソコンも一台置いている。パソコンがないとiPadやこのBluetooth付きスマートフォンだけでは、吟詠の吹き込みができないなどあって不便である。贅沢だが吟詠も投稿しているし、ブログ記事も沢山書いているし、ときどきはサンディエゴの友と話すためSkypeも使っているので、どうしてもパソコンが必要である。女房はiPadをかなり自由自在に使いこなせるようになったし、今年の年末年始の期間は田舎に居ても都会にいるのとは変わらないほど情報にアクセスできる。それがまた楽しみである。
2011年12月21日水曜日
国家観における原則(2011221)
論じると言っても別に論文を書こうというのではない。折しも北朝鮮の金正日総書記が死んでテレビや新聞で識者があれこれ意見を述べている。老人は天下国家を動かす立場にある人間は識者の言うことにいちいち振り合わされない方が良いと思っている。彼のアメリカ初代大統領エイブラハム・リンカーンは聖書しか読んでいなかったというではないか。天下国家を動かすには余計な情報は要らぬと老人は思っている。
老人はこれまで何年間かにわたりいろいろ思索してきた結果、天下国家を動かすには次の幾つかの原則をしっかりとわきまえておればよいと思っている。但しこれから思いつくままに書きならべることは、絵画でいえばまだデッサンの段階のものである。今後これをより完全なものへと仕上げて行かなければならないものである。なお、天下国家といってもあくまで日本国のことだけについて考えるものである。
① 国家の遺伝子には二つの種類がある。一つは国民の大勢が持っているDNAの集合体、もう一つは歴史・伝統・文化など独特な要素である。前者は生物学的な要素の集合の概念、後者は社会学的な要素の集合の概念である。前者を「国体内遺伝子」、後者を「国体外遺伝子」と、とりあえず仮称しておく。人間もDNA以外に生後の環境で身につける情報をもち、後者を「体外遺伝子」と名付けている学者もいる。人間の集合である国家も同様に考えるのである。
② 国体内遺伝子は外国からの流入者が増えると、日本人が本来持っている特殊な遺伝子が混血により薄められる。古代、天皇や貴族が近親婚も含めて血を大事にしていたが、それは良い子孫を残すための手段であっと言える。もし日本に大量の外国人の血が入ると本来日本人が持っている良い血は薄められてしまうだろう。日本人にはシナ人や朝鮮人にはない特殊なDNAがかなり大きなパーセンテージを占めている。
③ 国体外遺伝子は常に補強しないと壊れてしまう。皇国史観の教育とか、教育勅語の復活は戦後壊れてしまっている国体外遺伝子の再生に非常に有効である。
④ 万世一系の男系天皇の血統の維持は日本にとって非常に価値が高く、非常に重要なことである。女系天皇はもってのほかである。けっしてこれを許してはならない。
⑤ 天皇と国旗と国歌は日本人にとって「自分たち日本人とは何者であるか」という自問に明快に答える「セルフ(自己)」そのものである。このセルフを失えば日本人は最早日本人ではなくなり、何処かの国の属州にすむ流浪の民のようになってしまうだろう。
⑥ 人に性格があるように、国家にも性格というものがある。人の性格は変わらないが人の行動は快感が得られる方向、利益が得られる方向に動く。同様に国家の性格も変わることはないが、その行動は国際的利害関係で一時的に変わる。
⑦ 日本と中国や韓国・北朝鮮のそれぞれの「国としての性格」は違っている。その違いには国同士仲良くなれない致命的なものがある。東アジア共同体のような同じ屋根の下では決して上手く行かず、日本は大きな不利益を被ること必定である。
⑧ 国を動かすに「政道」と「商道」がある。両者は車の両輪のようなものである。但し、車の進行方向を決めるのは「政道」の輪の回転と「商道」の輪の停止で決まる。
⑨ 「政道」の上述のような特性は「武」を背景にしないと発揮できない。「武」とは「武力」と「武士道」を総合した概念である。
⑩ 「武士道」の構成要素に神道と仏教と江戸時代発達した日本独自の漢学の精神がある。
⑪ 「政道」は歴史がその行く先を照らす。特に近現代史は大き灯である。
⑫ 「商道」は経済・文化交流、相互理解の道である。
⑬ 武力は抑止力でなければならぬ。日米同盟強化と核武装或いは核ボタンの日米共同管理によりその抑止力を強化しなければならない。
⑭ その他古今言われ、諺にもなっている次の事項を行う。
ア 遠交近攻・・アメリカ、台湾、東南アジア諸国、インドなどと交わりを深める。
イ 攻撃は最大の防御・・一朝有事の際は先制攻撃、その打撃力を保持する。
2011年12月20日火曜日
幾つになっても恋(20111220)
陶芸の仲間の忘年会があった。老人は74歳最年長である。次が3歳下、その次が4歳下、60歳代の男性、50歳代がなくて40歳代の女性、30歳代の女性、計14名の忘年会であった。40歳代の女性たちの中には皆が敬愛する東京芸大出の陶芸の先生がいる。彼女は主婦でまだ子育て中である。
横浜は元町のある居酒屋は何処か鮮魚市場と関係があるらしい名前の店である。其処は予約が出来ないので幹事が早めに其処に行き、店の人と交渉して安い値段で普通並みの料理が出る仕組みになっている。この店は春の桜の時期に利用して以来今度で二度目である。
夜6時過ぎには全員そろってわいわいがやがや皆忘年会を楽しんだ。その賑やかな中で老人は恋の話を持ち出した。恋には三種類あるというのが老人の主張である。皆74歳の年寄りが話すので興味を持った。三種類の恋とは、一つは不倫の恋、二つ目は遊びの恋、三つ目は意識の中の恋である。男も女も幾つになってもお互い異性が好きでなければならない。宇野千代を知っているだろう? 彼女は恋心を失わなかったから年齢よりも若く見えたのだというのが老人の主張である。そして「私は女性が大好きだよ。ここにいる女性の皆さんも皆魅力的で美人だ」と言ったら「Aさん(老人のこと)は絶対74歳には見えない。まだ65歳ぐらいだと思ってたわ」と上手を言ってくれた。
確かに老人は10歳ぐらい若く見える。実際は体の各部で老化が進んでいて、年齢相応であるのだが、見た目には若く見える。考え方も若い。正直言って74歳になっても女が好きである。勿論皺くちゃのばあさんは別である。概ね50歳代以下20歳以上の女性が好きである。好きであるからといって女性たちからいやらしく思われるような、例えば女性を見る視線とかに気をつけている。それでも無意識に胸元に目が行ってしまうことがある。
おそらく若さの秘訣は性欲にあると思う。性欲をなくしたら男でも女でもなくなってしまうだろう。所詮人間といえども所詮生物である。動物と違うのは脳が発達していて社会生活の中で一定の規範を身に付け、動物的行動に出ないだけである。しかし世間には善悪の判断もできず動物的行為に出て事件を起こし、新聞だねになっている人間も多い。
不倫の恋は必ず何かの不幸を招く。自制出来ない男や女は不倫のため不幸になる。一時的に幸福感に満たされるかもしれないが、時間を経るにつれて初めの頃のときめきは薄れ、余計なあれこれを考え、思い患い、結局不幸になる。男または女の一方が理性的でないと石川さゆりの「天城越え」ではないが、とことん行くところまで行って結局満たされない状況になること必定である。
遊びの恋は後腐れがない。ただ、それは伴侶にあからさまにして遊ぶならば伴侶も決していい顔をすることができない。遊びの恋は伴侶に見えないところで、なんとか言いわけしながら行うべきものである。伴侶は人生を生きる上でのベターハーフである。お互いなくてはならない存在であるべきものである。その一方で後腐れの無い遊びをできるというのはある意味で幸せなことである。ただしそれは男にとってである。女は娼婦・芸者以外にそのような後腐れがない遊びは出来ないものであろう。最後に意識の中の恋人は、たとえ一緒に住むと必ず不幸になる存在である。決して一線を超えてはならない存在である。
「一線を超えてはならないのだ」と言ったら女性たちは「ああ、一線ね」と納得した風であった。こうして74歳、最年長の老人は忘年会を一層楽しくしたと自己満足である。2次会で台湾の女性が働いている店に行った。其処で幹事が持ち込んだ携帯カラオケ装置により一層盛り上がり、大変楽しい忘年会となった。帰り際、店の台湾人女性に「チャーミングだよ」と言ったら嬉しそうだった。実際チャーミングな女性であった。
この陶芸グループの会は老人がこれまで経験したことがない独特の雰囲気がある。一口で言えば知的なグループの会であると言える。老人はこのグループの中であと4、5年は続けられるだろう。多分、老人は見た目が実年齢どおりになるだろう。そうなると高齢ゆえに陶芸に通うのは億劫になっていくかもしれない。