2012年7月29日日曜日


回想「魂は永遠である」(20120729)

 死人の夢を見るのは良くないというようなことを聞いているが、男は明け方既に鬼籍に入っている二人の元帝国軍人の夢をみた。二人とも男の元上官だった。A部長は陸軍士官学校出身で元戦闘機乗りだった。男がまだ若かった頃、「お前は俺の上官に似ている。その上官は俺が出撃しようとしていたとき、“お前は残れ”と命じて出撃していって帰ってこなかった」と話してくれたことがあった。

 もう一人の元上官はB司令であった。B司令は海軍兵学校出身で帝国海軍潜水艦の艦長をしていた方であった。B司令はインド洋まで出撃していったことがあったという。寡黙な方であったが俳句の趣味をもっておられた。B司令の俳句の先生は旧軍で言えば曹長の階級に相当する方で、同じ基地の別の部隊に所属していた。その司令は俳句に興味のある部下たちを階級の如何を問わずメンバーに誘い、一緒に吟行会にも行ったことがあった。B司令の俳句で深く印象に残っている一句は「行く春や独来独去の一人旅」というものである。その俳句の会で男が作り、B司令が手直ししてくれた俳句に「風除けに雀の夫婦寄り添いて」というものがある。

 首(こうべ)を回(めぐら)せば既に八十に手が届かんとするこの齢になって、かつて恩顧を受けた元帝国陸海軍の軍人であった上官たちのことが思い出される。C部長は、毎日昼休みになると「おい〇○、稽古だ」と庁舎の裏庭に男を誘い、剣道の稽古をつけてくれていた。防具はつけず、竹刀だけで打ちあっていた。

 男が北方の部隊に勤務していた頃D司令と知り合った。その方は厚木飛行場で重戦闘機紫電改に乗っていた帝国海軍生き残りの一人である。その方は戦前、来襲するB-29を迎撃する任務についていた。

ここにある宴会の席で、男は酒に酔った勢いでつるつる禿げのE司令の頭を撫でている写真がある。傍にちょっと色気があった女性も写っていて三人一緒の笑顔である。いくら宴会の席であったからとはいえ、それは度が過ぎている。E司令は大変温厚な方であった。それでも男はある書類の決裁を得るためそのE司令室に入るときは大変緊張していたものである。

男はもう鬼籍に入っておられる数多くの旧軍人たちに期待されていたが、その恩に十分報いることなくこの齢までのうのうと生きてきた。夢の直接の原因は、徳富蘇峰の作詞である『京都東山』という漢詩の詩文にある。その詩は蘇峰が明治17年、22歳のとき、京都東山にある土佐藩士坂本龍馬や中岡慎太郎らの墓に参拝したときの感慨を詠った詩である。土砂降りの雨の中、破れ笠をかぶり丈の粗末な布で作った短い着物を着た人が、龍馬らの墓前で涙を流してぬかずいている様子を詩にしている。

生前国の為命を捧げた方たちは、その思いが決して消えることはない。生き残りの帝国陸海軍の軍人たちを通じ、男に何かを訴えたのである。男の生母も33歳で死ぬとき、10歳だった男にがんの苦痛の姿を一切見せることなく、男にいつものように抱き起すように命じ、その時は東に向けるように命じ、仏壇から線香を持ってくるように命じ、そして夫である男の父親を呼びに行かせた。男が裏山で燃料にするための松の枯れ落ち葉をかき集めていた父親と一緒に戻ってきたとき、母親はこと切れて何時もの布団の上に寝かされていた。何故東を向けさせたのか。それは皇居の方角であると男は後に確信した。

生命は永遠である。今を生きる日本人が天皇を崇敬せず、幕末以降日本のため命を捧げて奮闘し、死んでいった方々の御霊を粗末にすれば、必ず禍が起きることは間違いない。この現象は現代の科学では絶対解明できないであろう。また、宗教で信じるようなことでもない。科学以前・宗教以前の現象である。現実に起きている現象をどう受け止めるかということは、個人個人の素直な純粋な心次第である。日本は悠久の歴史がある国、言霊の幸わう国であるということを、すべての日本人は自覚すべきである。