2012年7月5日木曜日


占領憲法下の日本(20120705)

 表題は、書棚を整理しているとき出て来た本の題名である。裏表紙に「〇○さんのお父さんよりいただく」と大学に入学した妹に贈られたと妹が記している。1969年の暮の日付である。1969年と言えば今から43年前、全学連が騒いでいたころである。

 著者は「生長の家」の谷口雅春師である。巻頭に三島由紀夫が「本書に寄せる」と一文を載せている。其処には“このたび谷口雅春師の『占領憲法下の日本』といふ、憂國慨世の書を読むに当たり、私は殊に、その「生命体としての日本国家」の章に深く感動した。これこそは久しく私の求めてゐた日本の国家像であり、生命体としての個的自覚と、生ける全体とをつなぐ唯一橋が、ここに語られてゐると思われた”とある。

 男は「生長の家」の信者ではない。しかしこういう団体が日本の国を思い、人々に真剣に倫理を語っていることに対してはある種の喜びを感じている。元々男は自由気ままが良いので、組織に加入したり、何かの組織の活動に参加したりすることは嫌いである。ただ、男は河村名古屋市長が「南京大虐殺はなかった」と発言し、これを応援する渡部昇一・石原慎太郎氏らのグループが活動している団体には僅かばかりの寄付をした。顔を出さないが、そういったグループの活動が求める寄付には応じている。

 三島由紀夫が『占領憲法下の日本』という本について、「生命体としての日本国家」の章に深く感動したと書いている部分に男も深く共感を覚える。国家は生命体である。宇宙も生命体である。地球も生命体である。日本国家が生命体として生き残ってゆくために、何が最も大切であるかということを、男はこれまで何度も強調してきた。日本には天皇がいる。このことが最も重要である。故に日本を貶めたい国々は、あの手この手でその部分の弱体化を図ろうと画策している。マスメディアは彼らにとって最も良い工作対象である。そのことを日本国民はよく認識しなければならない。

 この本を〇○氏がどういう思いで妹に贈ったのか、あれこれ想像する。亡父は男が若かったころ、男が全学連などに入って活動することを恐れていた。〇○氏も大学生になった妹に、「変な野郎に用心しなさい」という思いでこのような本を贈ったのかもしれない。

 これから二、三日この定価150円と書いてある埃が鼻につくような本のページをめくりながら、「これは」と感じる部分を“”で引用してこの記事を書いて行こうと思う。”