2012年7月28日土曜日


日本が日本でなくなる日が来ないように願う(20120728)

 日韓・日中の間に見られる対立は、それぞれ両国民の良識ある人たちの相互理解で解消できないものかと考えた。しかしそれはなかなか困難なことである。良識ある人たちでも良識を持たない人々の無知な大合唱に対抗することはできない。良識ある人たちが国民の絶対多数を占めているのであればそれは困難なことではないであろうが。

個々の国民同士はお互い心を通わせ合い、お互い良い人たちだと認識し合うのであるが、話が領土問題に及ぶとお互い激しくぶっつかり合う。何故だろうか? 一つの答えは「自存の力」である。自ら生き残ろうとする力である。個々の人間同士は、個々の人間としてそれぞれ自ら生き残ろうとしている。その自存が可能である限り、お互い笑顔で付き合うことができる。ところが、その個々の人間が一員として参加している集団同志となると、その集団としての「自存の力」が相手の集団との間で対立状態を生み出す。国家の「自存の力」は、国民個々の「自存の力」とは別ものである。

 国家を指導する人たちの中で実力のある一部に人が、対立する国家の領土を奪い取ろうと発言すれば、個人個人では理解し合える国民でもその発言に同調する。シナ(中国)という国家が、尖閣列島は歴史的にもシナ(中国)の領土であると主張すれば、シナ(中国国民は「そのとおりだ」と納得し、「軍事力を行使すべきだ」と声を上げる。韓国が竹島を歴史的に韓国の領土だと主張すれば韓国民はそれを支持し、不法占拠しているのではないと確信する。

 個々の人間同士の争いは、利害が一致すれば止む。疑心暗鬼は不信感を増大させるが、情報通信と交通が高密度になればお互いの理解が進み、疑心暗鬼は減少あるいは解消する。国同士文化や経済の活発な交流があり、両国間の人びとの交流で混血が進めば、国民同士お互い親しくなることができる。シナ(中国)は4000年の歴史の中でそれを進めてきた。漢詩に李白の『王昭君』というのがある。

その詩文は
昭君(しょうくん)玉鞍(ぎょくあん)を払(はら)い 
(うま)に上(のぼ)って紅頬(こうきょう)()く 
今日(こんにち)漢宮(かんきゅう)の人(ひと)        
明日(みょうにち)胡地(こち)の妾(しょう)
というものである。

前漢時代(BC205 AD9)の終わりに近いころのBC33年に王昭君は北方遊牧民である匈奴(現在の内モンゴル自治区を中心とした辺りを支配していた遊牧民)の国の君主の妻となった。この詩文の意味は「王昭君は美しい鞍をおいた馬に乗ったが、紅色にお化粧をした頬には一すじの涙が垂れている。今日まで漢王朝の後宮の女官として華やかな日々を送ってきていたのに、明日からは遠い匈奴の国の君主の妻となってしまうのだ。」である。

シナ(中国)は、自分たちが中華の国であって、周辺諸国は動物の名前を付けて呼んでいた。その見下げている国の人びとと混血を進め、自らの中華の圏内に引き入れることによって、中華の国家としての「自存の力」を高めてきた。シナ(中国)国家の次の目標はかつて東夷と見下げていた日本を中華の圏内に引き入れることである。尖閣列島の領有はその戦略の第一手である。聖徳太子の時代から決して朝貢しようとしなかった国、自分たちの国以外に「天子」がいる国・日本を、今後たとえ数百年かかっても是非中華の圏内に収めたいのである。彼らは未だに日本を「倭」と呼び、「小日本」と呼んでいる。

それは、古来、シナ(中国)人の根強い「自存」の心理の現れである。日本も負けずに「自存」力を高め、聖徳太子以来の「日出る国の天子」を守り、「東方の光」を遠方まで強く届くように輝かせればよい。日本人は自ら気づいていなかったが、シナ(中国)人同様混血種であり、しかもシナ(中国)と違って「天子(=天皇)」が日本中の家々の宗家のような、また一家の「家長」のような国である。4000年間旧態依然として「朝廷」と「人民」との間に壁があるようなシナ(中国)とは違う。今のシナ(中国)は「中国共産党王朝」の国家である。いずれまた滅び、別の「王朝」国家に変わるだろう。しかし、それはシナ(中国)の「自存」の力がそういう道を選ぶのである。日本が皇統を守らず、女系天皇への道を開き、夫婦別称を許せば、日本は聖徳太子以来の日本ではなくなる。そのときは、日本はシナ(中国)の中華の圏内に取り込まれたときである。