2012年7月13日金曜日


日本国家の基本構図(20120713)

 このタイトルは『占領憲法下の日本』(谷口雅春著)という本の中にある。その前のタイトルが「国家も一個の生命体である」である。先ずその部分から“”で引用する。

 “以上、臓器移植についてやや詳しく述べて来たのは、実は、私は、国家を一個の生命体として観る場合に、日本国家の「生きた命令系統の中枢」にあたられるところの、「統治の大権」を祖宗に継承せられて国家の元首にましますところの天皇は取りかえることができないということが言いたかったのである。そして日本国家の「顔」にあたるところの国家の本来のあり方、すなわち「日本国独特の国体」はこれを取り換えたり、アメリカの顔てあるところの「民主主義」や、ソ連国家や中共国家の「顔」であるところの「共産主義」とは取り換えることができないのであり、もしこれを取り換えたら、その人の頭脳や顔に、他の人の頭脳や顔をもって来て移植するようなものであって、本人がもう本人でなくなる如く、日本国が日本国でなくなるという否定し難き事実を皆さんに訴えたかったのである。

 続いて上記タイトルの部分には、次のように書かれている。“日本の国は海外の諸国とは、国の成り立ちが異なるのである。天照大御神(まてらすおおみかみ)の大御心(おおみこころ)の中に、「豊葦原(とよあしはら)の瑞穂(みずほ)の国は、世々(よよ)わが子孫(うみのこ)の王(きみ)たるべき地(くに)なり」という国家設計の基本構図を示し給うたその理念に従って顕現したところの理想国家が日本国なのである。その理想は、人間が創作したところの理想ではなく、宇宙神なる天照大御神の創作せられた国家の基本構図に基づく理想であるのである”と。

 続いて「国が栄えるためには国民の努力を集中する目標が必要」というタイトルの中で“一国が栄えるためには、その国の国民が、共通の目的のために、国民の努力を自発的に集中できるような国家理想をもたなければならないのである。昔の日本国は「天皇」が国家理想の表現体であった。天皇の大御心(おおみこころ)の中に「神意」を日本民族は見たのであった。天皇は神聖であり、武家政治の時代に於いてすらも、その政権は天皇から授かる神聖なものと感じとっていたので、征夷大将軍(せいいたいしょうぐん)になるのも、関白太政大臣(かんぱくだじょうだいじん)になるのも天皇によって任ぜられたのである。その頃は、内部に政権争いがあっても、究極のところでは国民が一つの国家理想によって統一せられていたのである”と書かれている。

 日本は大東亜解放戦争に敗けてアメリカに「降参」した。その結果、アメリカ流の民主主義・合理主義・物質至上主義が日本人の精神の中に入り込んできた。そして現在様々な社会的問題が起きている。問題の解決のためには「原点」に戻らなくてはならない。