2012年7月16日月曜日


日本の古典を読む楽しみ(20120716)

 齢76にもなって、初めて『日本霊異記』を読む。インターネットで調べると、この古典について平凡社東洋文庫97『日本霊異記』原田敏明、高橋貢の口語訳、初版1967年。講談社[講談社学術文庫全3巻]『日本霊異記』中田祝夫の口語訳、197812月発行。岩波書店[日本古典文学大系70]遠藤嘉基、春日和男校注 1977年。などいろいろな本が出ていることを知る。男は詩吟を教える日、教室に向かう途中、始まるまでまだ時間があるので立ち寄ったある古本屋で、僅か七百円で手に入れたものは、新潮社[新潮日本古典集成]『日本霊異記』小泉道校注1984年のものである。

 古本なのでめくると埃っぽい匂いがつんと鼻にくるが、この本は新品と全く同様如くで、所持者はこの本を読んだのだろうかと思うほどである。読むうちにこの本が男にとって大変価値のあるものであることを知るに至る。恐らく『日本書紀』など他の古典同様、この本にもそのうちに赤鉛筆などの汚い線とか書き込みとか付箋がひらひらつくことだろう。男は記紀など古代・中世の歴史古典書以外に、『万葉集』『源氏物語』『平家物語』など古典文学書など沢山所持しているが、それらを男が存命中に完読できないことは確かである。それらの書物は必要に応じ時折手にして何か参考にすることが多いが、多くは積読(つんどく)の対象である。しかし、男の後ろにあるガラスの開き扉付の書棚の中に各種知的書物が詰まっていることは、男の心を豊かにしてくれている。

 日本古典と言えば、男は佐藤謙三校注『今昔物語集』と今東光著『今昔物語入門』を所持している。この本は読むうちに可笑しくてついふきだしてしまうほどである。時が移ろうと人の心は変わらない。1000年前の人も、1500年前の人も、それぞれ母から生まれて、限りある生を終え、山野の土に還ってゆく。ただ、その時々に生きた人の魂の記録は、本になって後の世に伝わってゆく。偉大だった人も、悪行を重ねた人も記録として遺されてゆく。そういう意味で、魂は永遠である。

 男は、自らの千年前に遡る出自をきちんと書にして遺しておこうと、もう何十年もなるかなり以前から、ある時期は集中し、ある時期は放置し、未完成もままその作業が今日まで続いている。今年になって、男はその作業を完成させるべく、その作業にエネルギーを集中させようと思うようになった。少しずつであるが、自分の「あの世」に向けた支度は進捗している。これはまた楽しいことである。こういうことができる身分と状況を、大変有り難く思はなければならぬと思う。恐らくは、「あの世」から男の先祖たちが男に期待をかけてくれているのだろう、いやそうに違いない、と男は思う。思い残すことのないように、気になっていることはひとつひとつ片付けて行かねばならぬと思う。昨日も、松戸に住む、かつて、もう20年も前に、亡妹が大変世話になった人と電話で親しく話した。