2012年10月10日水曜日


日韓関係の改善のために(51)「開化派勢力の分裂(続)(20121010)

 『古事記』編纂の太安萬侶(安万侶又は安麻呂)の墓誌に1300年前の毛筆跡があることがわかったという。これは墓地購入の証明書「買地券」というものだったらしい。『日本書紀』天智天皇元年九月天皇は百済の王子・豊璋(ほうしょう)に最高の位に次ぐ位を授け、安万侶の祖父の妹を妻にさせ、軍兵5000人の護衛をつけて百済に送り届け、百済の王にしたことが書かれている。安万侶の祖父は神武天皇の皇子の一人の血を引いている。

その豊璋は百済の復興にとってなくてはならぬ忠臣・鬼室福信(くゐしちふくしに)を、部下の讒言を信じて処刑してしまった。百済侵略の機会を窺っていた新羅は好機到来と判断し、唐(当時のシナ)と結託して百済を攻めた。日本は百済を救うため42千人の軍兵を送り唐・新羅連合軍と現在のソウルに近い白村江で戦ったが663年大敗した。その結果、何千人という百済人が日本に引き揚げてきて今の大阪その他各地に居住地と耕作田を与えられ居住した。百済からの引揚者は百済での地位や役職に応じ日本でそれぞれ地位・役職が与えられた。王族の子孫は陸奥国司などになったし、土木建築の技術者は大宰府などの防衛拠点に城を建設したし、学者は皇族の教育に携わったり、大学の学長になったりした。

築城については朝鮮式の八角形鼓楼の遺跡が福岡や熊本で発掘されている。滋賀県蒲生郡日野町小野(この)には亡命貴族・鬼室集斯(くゐしちしふし)を祀る鬼室神社がある。鬼室集斯は鬼室福信の子である。このように古代の日本と韓国とは非常に密接な関係があった。朝鮮半島から日本には百済からだけではなく高句麗や新羅からも非常に多くの人々が渡ってきている。皆、日本人になっている。1000年以上も経てば、今の日本人の血には多かれ少なかれ古代の朝鮮半島から渡って来た人々の血が混じっている。大東亜解放戦争後日本に帰化した朝鮮半島の人々の子孫も、将来完全に日本人になることだろう。

歴史は過去から未来まで何十世紀という長い幅で観るべきである。目先のことに右往左往して大局を見失ってはならない。そういう意味で、130年ほど前、今の韓国・北朝鮮内で朝鮮が「自主の邦(自主独立の国)」となるか、日本と「合邦(日本と一体化した一国二制度のような国)」になるかで激しい葛藤があったことを、今を生きる日本人・韓国人・北朝鮮人は知るべきである。再び呉 善花著『韓国併合への道 完全版』よりで引用する。
“清国の干渉強化と、それにつき従っていこうとする閔氏政権を前にして、開化派官僚たちは大きく二つに分裂した。金弘集、金允植、魚允中ら開化派は、干渉が強化されたにしても、従来どおり清国の影響下で近代化を推進していこうとする立場を明確にした。一方、金玉均、朴泳孝、徐光範(ソグアンボム)ら独立党は、清国の干渉を容認した閔氏一族につき従う開化派を厳しく批判し、あくまで清国からの独立を目指す近代化を強く唱えた。また、彼らが清国軍を引き入れ、その結果清国軍の駐留を招き、なおかつ大君院の拉致を容認したことに対しては、彼らを国賊とまで罵るようになっていったのである。”(続く)