2012年10月9日火曜日


日韓関係の改善のために(50)「開化派勢力の分裂(20121009)

 日本維新の会・橋下徹氏が竹島や北方四島を日本固有の領土であるとしつつも、「領有と管理」は別であるとして、海洋資源などの共同管理を呼びかける発言した。彼のこの発言を聞いてロシアやシナ(中国)は喜ぶことだろう。韓国は竹島を不法占拠して実効的支配をしているので、早速反発した。こういうことは東アジアが緊張している今のこの時期に、一国の政党の代表者として言ってはならぬことである。

日本人のお人好しの「友愛の海」的発想は非常に危険である。国家と国家の間は同盟国と雖もビジネスライクの「Give & Take」の関係で考えるべきである。あくまで独立独歩を貫き、決して「依存心」があってはならない。日本が生きのびるため、日本の国家は一人の侍(サムライ)のようでなくてはならない。人は人を知るように、国家は国家を知る。日本は元々デモクラシーの国であった。それゆえ日本はアメリカを知り、お互い「性格」が合うが故にアメリカとは「Give & Take」の協力をし合える。その関係を、血を分けた兄弟の如くに強化することは日本が東アジアで生きのびる最良・唯一の道である。

人間と同様、国家の「行動」は変わっても「性格」は変わるものではない。日本はアメリカに「降参」したが日本の「性格」は古代からずっと変わっていない。日本はアメリカの力に屈し、アメリカの力に敬意を表し、アメリカに学んだだけのことである。日本は何百年という長いスパンで冷徹に東アジアの状況を概観し、上述の自覚をもって東アジアにシナ(中国)が朝鮮半島を支配下に入れた一国二制度の大国家連合が誕生する可能性があるということを考慮に入れて、常日頃から日本が生きのびるための準備を怠りなくしておく必要がある。

明治の日本はかつて侍たちであった人々が国家の指導者層を構成し、彼らが当時の世界の状況を概観し、小国日本が生きのびるため決死の覚悟と先手を取る能力と気迫をもっていた。だから日本はどうしても避けることができなかった日清・日露戦争を戦い、これらに勝つことができたのである。

 韓国は北朝鮮を牽制するため射程800キロメートルのミサイルを保有することになった。西日本の一部は韓国のミサイルの射程内に入る。日本も北朝鮮を牽制するため射程2000キロのミサイルを西日本に配備する準備をしておくがよい。将来韓国が北朝鮮と統一国家になる可能性や、シナ(中国)が朝鮮半島を影響下に入れ、一国二制度のような連合国家になる可能性は十分ある。理由は朝鮮半島の国々はシナ(中国)を恐れつつも人々の名前は二文字か三文字、夫婦別称で中華・小中華という共通の潜在的、ときに顕在的文化があるし、最近の韓国・北朝鮮の動向を観ずると矢張り彼の国々は同類項だと思わざるを得ないからである。

明治天皇は「よもの海みなはらからと思ふ世になど波風のたちさわぐらむ(四方の海にある国々、世界中の人々は皆兄弟姉妹であると思う今の世に なぜ波風が騒ぎ立てるのであろうか)」と詠われ、昭和天皇もアメリカとの開戦前にこの歌を引用され、戦争とならざるを得ない状況に至ったことを悲しまれた。日本は古来言霊の国である。シナ(中国)・韓国・北朝鮮とは精神文化の面で非常に異なっている。その点では日本は特殊である。

人も国家も「生きのびる」ため他人・他国と争いを起こす。スポーツで競い合うのではなく、人間同士・国家同士の争いは減らすことはできるが、皆無にすることは非常に難しい。故に国家は他国との戦争が起きないように常日頃から怠りなく準備をしておく必要があるのである。日本は言霊を大事にしつつもサムライの心構えを決して忘れてはならない。

 橋本氏の発言にはその準備が欠けている。サムライとしての心構えに欠けている。「日本維新の会」が政党としての「弱み」をもっているためあのような発言をしたのだろう。「日本維新の会」が日本の国家の弱点をよく認識し、その弱点を克服する道筋を示し、国民に奮起を促すのであれば頼もしい限りであるが、それが無い。非常に残念なことである。

さて130年ほど前、朝鮮が「自主の邦(自主独立の国)」となるか、日本と「合邦(日本と一体化した一国二制度のような国)」になるかということで激しい葛藤があったことを、今を生きる日本人・韓国人・北朝鮮人は知るべきである。再び呉 善花著『韓国併合への道 完全版』よりで引用する。(関連:このブログ2012928日金曜日『日韓関係の改善のために(39)「日朝修好条約締結後の状況」(20120928)』)

“清国の干渉強化と、それにつき従っていこうとする閔氏政権を前にして、開化派官僚たちは大きく二つに分裂した。金弘集、金允植、魚允中ら開化派は、干渉が強化されたにしても、従来どおり清国の影響下で近代化を推進していこうとする立場を明確にした。一方、金玉均、朴泳孝、徐光範(ソグアンボム)ら独立党は、清国の干渉を容認した閔氏一族につき従う開化派を厳しく批判し、あくまで清国からの独立を目指す近代化を強く唱えた。また、彼らが清国軍を引き入れ、その結果清国軍の駐留を招き、なおかつ大君院の拉致を容認したことに対しては、彼らを国賊とまで罵るようになっていったのである。”(続く)