2012年10月6日土曜日


日韓関係の改善のために(47)「首都漢城を制圧した清国軍の暴状(続)(20121006)

 シナ(中国)は、自国民の愛国心を高めるため自国民に誤った歴史教育を行っている。その結果、このブログの2012104日木曜日の投稿『日韓関係の改善のために「何世紀も変わらぬシナ(中国)の国家戦略」』に書いた記事のとおり、綱領第四條で「琉球共和は、奄米州, 沖繩州, 八重山州の三個主要な州による」と宣言している。これは、かつて琉球王国が薩摩藩の支配下、清国に朝貢していた事実をもって、沖縄列島や尖閣諸島は元々シナ(中国)のものであったと教え込まれた結果である。

 日本政府が尖閣諸島所有者から205千万円で買い上げたことに端を発したシナ(中国)各地での非常に激しい反日デモ・日系企業建物・財産に対する傍若無人の乱暴狼藉行為を見るとシナ(中国)は130年前とちっとも変っていないのである。

“当時日本に留学中だった 尹致昊(ユンチホ)は、朝鮮から戻ったばかりという日本人から次のように言われたと、日記に書いている。「貴国、朝鮮政府はみな支那の指導を奉じている。また支那人は銃をうちながら横行し、傍若無人の振る舞いをしている。」(『尹致昊日記』)

中国では伝統的に、軍隊は略奪を一種の戦利行為として許されているという習慣があったから、将官たちはそうした兵士の乱暴狼藉は見て見ないふりをするのが常だった。

一方、漢城には三〇〇〇名の清国兵のほかに二〇〇名たらずの日本兵がいたが、彼らは実に秩序正しくふるまっていた。日清戦争中は日本軍が漢城に入るが、次の文章からもわかるように、その際にも日本軍の規律はきわめてよく守られていた。

「ソウルだけでも現在数千人の日本軍兵士が城内と外郭に駐屯していますが、彼らへの抗議はあったためしがありません。彼らの規律は他の範とすべきものです」(アンダーソン・グレブスト著/可在龍・高演義訳『悲劇の朝鮮』白帝社)

清国兵士たちの暴状は際限なくエスカレートしていくばかりだった。さすがの清国軍総司令官の呉長慶もそれを放っておくことができなくなり、ついには特別風紀隊を編成して自国軍兵士たちの取り締まりを行ったほどである。

また清国は通商関係において宗主国としての特権を確保したため、中国人は朝鮮国内でまったく制約を受けることなく営業し、移動し、居住することができた。
こうして清国は、李朝の内政・軍事・外交のあらゆる面にわたって、深く干渉するようになっていったのである。”(続く)