2012年10月31日水曜日


日韓関係の改善のために(72)「福沢諭吉の影響(続)(20121031)

日本に学び帰国し朝鮮の近代化のため活動を始めた金玉均と朴泳孝の二人のことについて引き続き呉善花著『韓国併合への道 完全版』より“”で引用する。この部分は、当時の李朝の状況を知る上で重要である。日本側の対朝鮮方針の変更や朝鮮内部の守旧派の反発などで朝鮮の近代化は困難な状況にあった。金玉均が誘って日本に留学させ、福沢諭吉の世話になった留学生たちの大半は、後に金玉均らのクーデターに連座して処刑されたりしている。彼らの親たちの多くは中級以下の官僚や中人階級であった。その子供たちは、日本に留学した時は青年というよりはあどけなさが残る少年たちであった。自分の子供がそのような状況になった親たちの気持ちはいかばかりであったであろうか?

今、日韓関係は厳しい状況にあるが、その根本の原因は130年前の日本と朝鮮の間の状況にある。あらゆる問題も、それが発生したときは一旦「原点」に立ち戻って考えることが重要である。日本と韓国双方がその原点を正しく共通に認識することができれば、日韓関係は幾分か改善されると確信する。それでも日韓両国の間の深い溝は埋まることはないであろう。ただ、日韓双方がその溝がそもそも何によって生じているのか、理性的に良く正しく認識することができれば、日韓の関係改善は一歩前進するに違いない。

日本の政府は弱腰であるが、日本として韓国に強く要求すべきことは次の三つである。①韓国は自ら古地図・史料を改ざんしてまでして、古来明らかに日本の領土である竹島を歴史的にも韓国の領土であるというようなことはしないこと。②その事実がないにも拘わらず、まして当時の朝鮮の女性が日本の女性と同様に、当時としては破格の報酬で自らの身体を兵隊たちの慰安に提供していたという事実があり、また日本軍が朝鮮の女性たちを守るため悪質な朝鮮人ブローカーを取り締まっていたという事実があるにも拘わらず、「強制連行され従軍慰安婦にさせられた」と嘘の証言をした女性の言葉を宣伝の具に使って、当時の日本軍が朝鮮の女性たちを強制的に連行して従軍慰安婦にしたのだというようことを宣伝しないこと。③「日本海」の呼称を「東海」と言わないこと。
 
 “金玉均は一八八三年(明治一六)三月に日本から帰国すると、すぐに徐載弼(一七歳)をはじめ四〇数名の青年たちを日本に留学させ、その監督を福沢諭吉に依頼している。福沢は来日した彼らを自分の別邸に入れ、慶応義塾、陸軍戸山学校、各種の技術学校にそれぞれ就学させている。
 彼らのほとんどは、青年というよりは、いまだあどけなさの残る少年たちだった。金玉均は、政権の中枢を担う高級官僚の子弟を留学させようとしたが、希望者は少なく、多くが中級以下の官僚の子弟や、中人階級の子弟であった。彼らの大半は、後に金玉均らのクーデターに連座し、その渦中で暗殺、処刑、亡命などの運命をたどることになる。”(続く)