2012年10月28日日曜日


日韓関係の改善のために(69)「福沢諭吉の影響(20121028)

 1882年(明治15年)723日、李氏朝鮮では閔氏政権下、大暴動が勃発した。これは同年719日に李朝の旧軍兵士たちに対して一年以上も滞っていた俸給米のうち、たった一ヶ月分が支給されたが、役人たちの不正によりその支給された米の中には腐敗した米や砂や糠などが混じっていたことに端を発する。旧軍兵士たちの怒りが爆発し反乱が起きた。この反乱に対して閔氏政権は関係した兵士たちを捕らえ首謀者たちを処刑してしまった。このことに憤慨した各駐屯地の軍兵たちと、閔氏政権に不満を抱く農民や下層市民たちが一団となって大暴徒に発展した。これが壬午軍乱というものである。この軍乱で王宮内にいた堀本少尉ら日本人が殺害されたことなどの被害があった。(関連:2012929日土曜日『日韓関係の改善のために(40)「日朝修好条約締結後の状況(続)」(20120929)』)

 この被害に対して李朝から日本に賠償金が支払われることになったが、その資金は福沢諭吉の取り計らいにより日本政府が銀行から借りて、返済期間も10年間に延長させて李朝に融通している。福沢諭吉は著書『学問のすゝめ』に書いてあるとおり、「政治は国民の上で成り立っており、愚かな人の上には厳しい政府ができ、優れた人の上には良い政府ができる。法律も国民の行いによって変わる」と説き、学問の有無が人生に影響を与えるのだとの考えを持っていたので、金玉均ら李朝の優秀な若い人たちに期待していたのである。

 福沢諭吉は『学問のすゝめ』の冒頭に「天ハ人ノ上ニ人ヲ造ラズ人ノ下ニ人ヲ造ラズト云ヘリ」とアメリカ合衆国の独立宣言から引用しているとおり、近代国家の仕組みのあるべき姿について明確な理念をもっていた。一方、「天は自ら助くる者を助く」(God helps those who help themselves)という言葉が引用されているサミュエル・スマイルズの『自助論』(原題Self-Help)が、明治4年(1871年)に『西国立志編』と題して日本語に翻訳されていた。福沢諭吉の『学問のすゝめ』とこの『西国立志編』は明治の青年たちに広く読まれていたという。この二つの本は、今改めてよく読まれるべきものである。

明治期の日本人は人に依存せず人に依頼せず、自ら独立独歩の精神が旺盛であったのである。そういう日本人たちがいた国家は強かった。それにくらべ戦後の日本人はどうか?軍事・防衛はアメリカに依存し依頼し、経済・貿易はシナ(中国)に依存し依頼し、独立独歩の気概に欠けていないか?これは130年前の李朝の状況と似ていないか?経団連会長らが民主党幹部と会見し、日本とシナ(中国)の関係について善処を求めた。これは「商道」が「政道」を動かそうとすることではないのか?シナ(中国)はその動きを知って、早速尖閣問題でさらなる強硬措置をとると宣言した。国家の経済の発展のため、文物往来・文化交流・友好親善のためには「商道」が盛んでなくてはならぬ。しかし、「商道」はあくまで「政道」によって統制されなければならないものであるのだ。(続く)