2012年10月20日土曜日


日韓関係の改善のために(61)「実学思想から開化思想へ(20121020)

 これまで引用してきた『韓国併合への道 完全版』の著者・呉 善花女史は、この本の中で、李朝では若手官僚たちが実学を支持し、仏教が個人の内面の救いをもたらして朱子学に対する批判精神を養わせたことを説明している。一方、日本では朱子学の他に陽明学が学ばれていた。仏教は古来日本人の暮らしの中に深く根付いている。神道も日本人の精神に深く関わっている。日本人はその他八百万の神々を敬い、路傍の地蔵菩薩の石像も拝む。

私は浅学非才なるゆえそれぞれの学問の正しい理解を得るに至っていないが、それなりに概観するところによれば、朱子学は、一言で言えば人は人倫の道を追求することが最善であるので、何よりも先ずはそのとおりに行うべきであるとする理論を構成している学問であって上下の人間関係を律する上で都合が良い学問であるようであり、一方、陽明学は、人は人倫の道を外すことはあってはならないが、その真理を知るうえで人の行動を制限していては真理に到達できないから、真理を知って行動し、その行動と自ら知ったその真理を一致させるという理論を構成している学問であるようであると思う。これは功利主義の実学とはちょっと違うように思う。

明治維新を成し遂げた日本の志士たちは皆、陽明学派であった。中江藤樹の流れを汲む志士たちが明治維新を成し遂げた。その一方で日本の志士たちは人倫の道の究極に天皇を位置付けた。これは朱子学的である。日本の明治維新は下士・郷士の身分の下級士族たちが先見の明ある藩主たちを動かして成し遂げられたものである。

ところが李朝では日本の下級士族に相当する中人階級の若い官僚たちが文明開化とシナ(中国)による冊封体制からの独立を目指したが、李朝には両班階級はいても日本のような武家の領主は存在していなかったから、朝鮮の開化と独立を目指す若手官僚たちのエネルギーが活かされることはなかった。また、徳川幕府は人倫の道に沿って政治を行っていたが、李朝を動かしていた大院君や閔氏一族は、人倫の道から外れた政治を行っていた。こういう状況だったから、李朝は外国の力によらなければ変革を遂げることは全くできなかったのである。日本と朝鮮との精神文化上の大きな違いはこの辺のところにあると思う。

 “西洋文明との接触が深まるにつれて、実学からしだいに開化思想が芽生えるようになっていくが、その点で北学派の果たした役割が最も大きいと言われる。なお、金玉均の親しい同志として終始行動をともにした朴泳孝の家も、朴桂寿の学統につながっていた。・・(中略)・・
 現実への寄与を説く開明的な実学と、万物の平等を説き個人の内面の救いをもたらしてくれる仏教――この二つが彼らに硬直した朱子学に対する批判的な精神を養わせ、より近代的な人格を形成させるのに、重要な役割を果たしたことは確かだと思う。”(続く)